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定植の終わったナス苗 … 我家の畑で
義母自慢の畑にて。これからどんどん大きくなって、夏には美味しいナスが食べられます。きっと山の上にもボッカさんが上げてきてくれる事でしょう。お客さんの夕食にも出るかもしれませんね。
さてとりあえず田植えも一段落し、今日明日と立山M山荘へ行ってきます。「修行」に…(笑)これから出掛けますので、詳しい報告はまた帰ってから。では、行ってきます。

立山M山荘前にて 右側の白く見えるのは、もちろん「雪」の壁です。
1〜2日と、立山へ行って来ました。快晴に恵まれ(下から山は見えなかったようですが)とりあえず観光客気分も味わって来ました。事前情報の通り今年の立山、標高2400m以上では平年より雪は少ないようです。
妹が居る立山M山荘は室堂のバスターミナルから一番近い山小屋で、シーズン中は老若男女問わず多くのお客様で賑わいます。また、撮影機材を運び入れる事が容易な為各種マスコミに登場する機会も多く、アルペンルート開通の朝には某「ズームイン○」への生出演もあったそうです。
今のM山荘は新築されていますが、それまで営業していた隣接する「室堂小屋」は日本最高所にあり、江戸時代に建てられた最古の山小屋で、国の重要文化財に指定されています。およそ300年の風雪に耐えたそれは、立山に寄せられた信仰の歴史を刻む小屋と言えるでしょう。
そのM山荘で奮闘する我が妹、一緒に朝日小屋で頑張った時もありますが、山小屋生活においてはかなりの先輩です。いろいろ聞きたい事や教えてもらいたい事もあり、今回「電話で話していてもナンだから、来ればいいのに…」と誘われて『修行』に行って来ました。
アルバイトのみんなに喜んでもらえるようにと(山にいると何がうれしいかといえば下界からのお土産)、いろいろ持って行こうと準備をして出掛けました。
ケーブルの立山駅に着き、車の中から背負子と荷物を下ろしパッキング。缶ビール1ケース、魚の昆布〆、家のタケノコ…etc。ヨイショと担ごうとしても、肩まで上がらない。そんな何キロもあるはずないのに、「やっぱり冬の間何もしていなかったからか、ダメだなぁ。ちょっと情けない」等とブツブツ言いながら膝を着いて担ぎ上げて歩き出し、観光客に混じって雲上の人になりました。バスターミナルから10分余りの雪道を「重いなあ、情けないなあ」をくり返しながら、また途中その姿を見た何人もの方から「どこまでですか?スゴイですねェ」と言われながら、M山荘に到着しました。
私の姿を見た妹やアルバイトのみんなからもビックリされ、「何キロあるか量ってみよう」とヘルスメーターに荷物を載せてビックリ。22キロもありました。その上片手には20個のシュークリームまで…。やっぱり重たかったわけだ。
でもほんのしばらくの時間とはいえ何十年振りに20数キロの荷物を担いでみて(事情があって、最近荷物は思い切り軽くしているので)、恵振山を「ボッカ」してくれるアルバイト始めみんなの辛さを味わう事が出来てよかったと思いました(もちろん辛さの比較にはなりませんが)。
ある方が「ゆかりさん、ヘリコプターで山に入るのは仕方ないとしても、辛い思いをして山道を歩いて小屋に辿り着く登山者の皆さんの気持ちを絶対忘れたらいけないヨ」と話して下さいました。…本当にそうですね。「いらっしゃいませ、お疲れ様でした!」そしてボッカのみんなには「ご苦労様!!」と声を掛けてあげられる管理人でなくては。
立山M山荘での『修行』の目的とその様子は、次回に。

2日・雄山頂上を背に、M山荘…右に屋根だけうっすら見えるのが「室堂小屋」
昨日5月5日は「こどもの日」そして暦の上では「立夏」、もう初夏の雰囲気ですね。今年の大型連休はどうでしたか?私は「山関係」の山また山を一歩一歩登る毎日でした(笑)。本物の立山行きもありましたし。
今回の立山M山荘での『修行』…山小屋でいかに「おいしいご飯」を炊くかについての"勉強"と情報収集をして来ました。
朝日小屋は標高2150mの高所にありますが、実はずっと普通のガス釜でご飯を炊いて来ました。もっと高い所にある小屋ではもちろん圧力釜を使っている所が殆どですが、今まで朝日小屋は普通の釜で炊いていたのです。が、どうにも「半分めっこ飯」のようで気になっていました。う〜ん、何とかしたい、何とかしよう!そこで高圧釜を使っているM山荘の妹の所で使い方を教えてもらい、2日間「飯炊きおばさん」をしてきたという訳です。もちろんおいしく炊けましたョ。
ただし、今はなかなか"スグレモノ"の炊飯器も登場してきたようで、他にも役立つ情報もバッチリ仕入れる事ができ、本当に今回の立山行きは有意義でした。
また長らく立山へはご無沙汰していて今回13年振りで訪れたのですが、時間を見つけて知り合いの"R荘"へも散歩がてら御挨拶に出掛け、オーナーの志鷹定義さんに数年前に新築されたという喫茶室と談話室も見せていただきました。
朝日小屋は談話室も喫茶室もありませんから、登山者の皆さんがゆっくりくつろげる雰囲気がとても羨ましかったのですが、実は今私なりにいろいろ考えている事があるんです。その中味についてはまだ「ヒ・ミ・ツ」なのですが、来てよかったなあと思ってもらえるような山小屋とは、お客さんに喜んでもらえるサービスとは…、毎日頭の中は「朝日小屋」の事で一杯です。
いよいよ後一ヶ月余りで「山の上の人」になります。なんだか「ゆかりの壮行会」をやってくれるという友人達もいて、うれしいようなちょっぴりさみしいような…複雑な心境です。昨日も富山市内まで買出しの下見に行って来ました。役に立つ情報もありましたら、お寄せください。お待ちしています。では、また。

我が家の庭で、「えびね」の一種 もっと細かい花の様子はなかなか難しい
今日はまるで梅雨のようなお天気。朝方濃い霧が辺りをつつみ、まるで山の上にいるような雰囲気でした。
昨日も何人もの方からメールを頂いたのですが、その中で思いもかけない方からのメールに驚きました。朝日町のご出身で、今は転勤で仙台にお住まいだというNさんです。私が中学3年生、夏休みに「アルバイトの真似事」をした時に朝日小屋でご一緒したのですが、その後一度もお会いすることもなく、朝日町関連のHPで見て「もしかしたら…」とメールを送って下さいました。
当時の管理人は父の前任のKさんでした。まさかその次の年に父が管理人になるなど夢にも思っていない私は、大好きな山でひと夏を過ごせる事がうれしくて、何人ものお兄さんやお姉さん達に可愛がられて働かせてもらったのを覚えています。
もちろん現在のような立派な小屋ではありませんでしたが、その後の何年かを父と一緒に過ごした小屋です。…今見取り図を描かせてもすぐに思い出して全部描ける位、隅から隅まで覚えているから本当に不思議ですね。
部屋数は大きい部屋が2、小さい部屋が3、「カイコ棚」と呼ばれる仕切りをした部屋もありました。食堂の定員は32名、最高200人以上の夕食を出した記憶があります。(最後のお客さんの夕食はたしか8時過ぎていたはず)トイレはもちろん今のような水洗式ではなく、まあその管理やウラ話のネタはつきません。
アルバイト部屋などはまるで「タコ部屋」のように狭くて薄暗い、屋根裏だから高さもなくてすぐに頭をぶつける、台所の真上なのでオチオチ寝ていられない、おまけにお客さんの部屋とベニヤ一枚で仕切られているのでちょっと話していると「うるさいですョ!」と注意される始末…、でもなんと楽しかったことか。あの時代があったからこそ、管理人を引き受ける決心もついたのかもしれません。
Nさんのメールには、その頃の思い出が綴ってありました。小屋の裏では、ドラム缶を切って下から薪を焚くようにして「お風呂」も作ってありました。今考えると私も入ったんだ、周りに何も遮る物もなかったはずなのに…!!。あの頃はお風呂なんてそんなに頻繁に沸かしてもらえず、多分アルバイト達の自衛策だったのだと思いますが、○歳になった今なら余計恥ずかしいですね、ハ・ハ・ハ…。
お兄さんやお姉さんと一緒に満天の星空に魅せられた当時の中学生は、それから29年の歳月を経て、今年から小屋番をすることになりました。今度は登山者の皆さんの心に残る山行を演出する側で。…Nさん、山の上でお待ちしています。

南保富士にて 登山道わきの"チゴユリ"が可憐でした
毎日〈山関係〉の「雑用の山また山」を登る日々が続いていましたが、これは少し小屋開けに向けて何とかしなくては…と思い、今日はDさんご夫妻と「南保富士」へ登って来ました。「南保富士」は標高727.1mの里山、でも地形図を見てもその名前はありません。二王山の北西にある三角点の山ですが、朝日町にあるまことにマイナーな富士山なのです。
大したトレーニング無しにいきなり毎年6月の「朝日岳登山会」に参加する私でしたが、これからは少し心を入れ替えて(!)低山からの足慣らしも必要と痛感している"新米管理人"。しかし恥ずかしい話ですが地元の山には今まであまり行く機会がなく、「南保富士」も初めて登りましたが、私の知り合いの皆さんは山開きに登る為のトレーニング等にもよく登っていらっしゃるようです。
南保の登り口から約1時間足らず、シーズン初めにはもって来いの山でしたし、可憐な花たちが咲き疲れ知らずに頂上まで登る事ができました。チゴユリ、イカリソウ、イワウチワ、タムシバ、ミツバツツジ、ヤブツバキ、何種類ものスミレ、ササユリ(まだ蕾でした)etc…、新緑がそろそろ濃くなりかけて目にも鮮やかでした。
標高が低い割には頂上からの眺めは素晴らしく、眼下に広がる黒部川扇状地は見事でした。残念ながら朝日岳はちょうど二王山がすっぽり邪魔をして見えないのですが、僧ヶ岳を始めとした近隣の山々は所々雪を残し間近にありました。
それなりに心地よい汗をかいたので、頂上でのビールがなんとも美味しかった!!(…実はホンのひと口のビールで真っ赤になる私、それ以上飲むと「南保富士」でビバークしなくてはいけませんから、本当にひと口だけ…)
わずか半日の里山歩きでしたが、心地よい山の風に吹かれて木々の中を歩いて、「さぁ、また明日から頑張ろう」とエネルギーを蓄えることのできた時間でした。
追伸;実は13日に大蓮華山保勝会主催の「登山研修会」が越道峠付近で行われます(雪上訓練あり)。新米管理人も参加する予定で、いきなりはキツイので今日はちょうどよいトレーニングでした。その様子もまたお知らせします。

家の前で 鉢植えの花の名前は? 蔓になっています
今日の富山県地方はいいお天気です。朝日岳はもちろん、山々がキラキラ輝いています。
さて表題のとおり、アルバイトを大募集しています。(「アルバイト募集」のコーナーにもありますが)
募集人員その他は
(1) 長期アルバイト…男性 1名 年齢30歳くらいまで
小屋開け(6月12日頃)〜小屋閉め(10月10日頃)まで
要・普通自動車免許
(2) 短期アルバイト…男女 若干名
高校生可 年齢30歳くらいまで
期間は相談に応じます。
いろいろご相談に応じます。先ずは電話あるいはe-mailにてご連絡ください。ご連絡お待ちしています。

越道峠で 恵振山、清水岳をバックに(photo by nyama)
どこまでも続く青い空、残雪の白、そして芽吹いて間もない新緑のまぶしさ、もうこんな幸せがあるだろうか…と思えるような、そんな一日でした。イワウチワ、カタクリ、カモシカにも出会いました。
昨日は大蓮華山保勝会の「登山技術講習会」が、県警山岳警備隊の古崎隊員(入善署)を講師に尾安谷〜越道峠付近で実施され、管理人の私も初参加して来ました。
これは、6月23日〜24日にかけて開かれる山開き登山会を安全に行う為に当日のリーダーを中心に、雪渓の歩行方法やピッケルの使い方、ロープワーク等の技術を確実に習得することを目的に行われたものです。もちろんピッケルを使った滑落停止の訓練もありました。
尾安谷付近に車を止め、いつもは車で通り過ぎるだけの林道を歩き始めました。この道を歩くのは中学の時に学校のキャンプで来た時以来かな…等と思いながら少し行くともう残雪がかなりあります。話には聞いていましたが、やはり今年の雪は標高の低い所で多いようです。倒木や崩れた箇所もかなりあり、役場が除雪を始めるのも例年より遅くなりそうで、管理人としてはいろいろ心配です。
車道を完全に雪が覆っている箇所で、訓練開始。立ち木や大きな石にザイルを張ったり、雪渓にピッケルを打ち込んでその役目をさせたりする方法をやってみたりと、講師の指示に耳を傾けます。今までは救助隊の人達のやり方を眺めている立場でしたが、今回は私なりに真剣でした。
ところが古崎隊員、「では、皆さんにやってもらいますが…、この中で一番山を歩く機会が多いと思われる管理人のゆかりさん、初めにどうぞ」キャー、ヤメテ〜!それでなくても緊張して聞いているのに…。でも「えーい、やるしかない!」と、教えられたようにいろいろやってみる。何とかクリア…。もちろん雪渓も小さい時から登っているしスキーもやるので、雪の急斜面はそんなに怖くはないのですが、講師先生のやさしくも厳しいまなざしの方が気になったりして。
越道峠にて昼食。写真にもあるように、本当に最高のお天気!!その満足度はひと言では表せません。(またまたひと口のビールが美味だった)
帰りには滑落停止の訓練。わざと滑ってみるという事はナント難しいのか。歩いて降りるにはたいした斜面ではないのですが、雨具を着て滑ると加速度が付きます。本格的にピッケルを使う機会のなかった私ですが、本当に勉強になりました。(山に入ったら、前朝日の斜面でこっそり練習しようっと…フフフ)
段々「新米管理人」も“意識改革”されてきたのかもしれません。少しづつ「管理人らしく」なっていきたいと、いろいろな事に挑戦する意欲が湧いてくるようで、なんだか昨日の訓練もとても楽しく有意義でした。できない事も確かに多いのですが、私のモットー「前を向いて歩いていきたい」を貫いて頑張りたいと改めて思いました。
…辛くてもひどくてもまた山へ行きたくなる気持ち、私なりに再確認しました。

(photo by nyama)
雪渓上で、県警山岳警備隊・古崎隊員の説明を聞く。
みんな真剣そのもの。

林道沿いに歩きましたが、かなり残雪が多く、危険な箇所もありました。

我が家の裏庭で ミョウガの芽が並びました。
毎日毎日バタバタと、買出しやら打合わせ、役所へも足を運んだり、原稿書きや取材に応じたり等々‥、いろいろな準備に追われている私です。
そんな中、一昨日には朝日小屋の荷揚げをお願いしているヘリ会社・I社の小宮機長が東京から日帰りでいらっしゃって、一緒に現地を見に行きました。ヘリポートの候補地を再確認し、予定を立てる為の打合せに急遽来冨されました。もう7年位のお付き合いで、朝日岳をよく知っていらっしゃるパイロットなので、危険を伴う仕事も安心してお任せ出来ます。
現地での打合せの後、コーヒーを飲みながらいろいろなお話を聞かせていただきました。「遠い所、日帰りで車を運転して大変でしょう」と言いましたら、「普段はヘリでの移動ばかりですから、たまにはいいですよ(笑)」と。
そんな話をしているうちに、昨年亡くなった父が最後にヘリコプターで山を降りた時の話になりました。
一昨年の秋。父は病状が悪化した為、3日後の小屋閉めを待たずに急遽要請したヘリで山を降りる事になったのですが、その時小宮さんは他の仕事が抜けられずに、奥多摩で仕事をしていた別の機長が来て下さったのです。いくらベテランのパイロットでも、全く初めての山を飛ぶのはかなり大変のようで、まして雲の切れ間から目標となる山小屋をすばやく見つけるのは至難の業。しかしその時は、偶然いつも朝日岳を担当している整備担当者の方がその機体に乗り合わせていらっしゃって、すぐに駆けつける事が出来たとのことでした。「その整備担当者が居なかったら手間取ってしまって、大変だったかもしれません。本当にラッキーでした…」
あの時の光景は、今も昨日のことのように覚えています。
2年前の10月9日、私は小屋閉めの手伝いの為に北又から登って来ました。父がその日急遽降りることになっているとは知らぬまま…。鎖場〜夕日が原で初めてかすかにヘリの音を聞き、胸騒ぎを覚えながら足を速めました。小屋が見える小高い丘を登りきった所で、雲の切れ間からヘリが何度も旋回しているのが見え、小屋に向けて走り出しました。父は首から「簡易酸素ボンベ」をぶら下げて、アルバイトの皆に支えられてやっとの様子で立っていました。下から上がって来たばかりの私でしたが、「このまま付き添ってヘリで降りる」と言いましたら、父は「独りで行けるから心配しなくて大丈夫だ」と。ヘリは一瞬の晴れ間をついて父を収容し、私はなんともいえない思いでその機体を見送りました。
「…清水さん、あの時お父さんを乗せた機体はラマ315Bといって、なかなか優秀でレスキューにも使われている機体です。機体NOはJA6141。最近売却されましたが、今はアメリカで元気に活躍しています。整備担当の連中がわざわざアメリカまで見に行って来たんですよ」と教えてくださいました。
まさか2年前のあの時には、こんな日が来るとは思ってもみませんでしたが…、ひと月後、今年はその小宮機長が操縦するヘリで、私が小屋を開ける為に上がります。もちろん、父の想いも一緒に運んでいきます。

庭にぽつんと咲いていた花、名前はクリンソウ
今日の富山県地方は久し振りに雨が降りました。記録的な少雨だとかで、畑物が上手く育たないと義母がぼやいています。
昨晩は「ゆかりの壮行会」・第一弾があり、今日の午前中はなんとなく二日酔い気味でボー…。高校の同級生たちが「雲上の人」になる私を励ましてやろうと(それに名を借りた飲み会だと思いましたが)、賑やかに開いてくれました。中には「アレッ、『送別会』じゃなかったの?」などとからかう人もいましたが、そんな冗談を言える友人の輪がなんとも心地よくて、大好きな集まりです。
毎日「管理人の日記」を覗いてくれている人や、山が写っている日記をプリントアウトして来て皆に見せて説明してくれた人、今度は必ず登って来るネと約束してくれる人…、文字通り「雲上の人」になっても、皆が思ってくれている気持ちに応えるべく頑張りたいと思います。
「人と人との出会い」は、今もそしてこれからも本当に大切にしたいものです。高校時代には話しも出来なかった人たちとも、あの時の出会いがあったからこそオジサン・オバサンになっての友人の輪が広がっています。またそんな出会いが生きていくことに少し勇気をくれるのではないでしょうか。
朝日岳のかけがえのない自然との出会い、そして朝日小屋での出会いを大切にして、人と人との繋がりをステキに演出することができたら…、新米管理人はそう考えています。
明日は、気の合った人たちと新潟県の白鳥山へ行って来ます。白鳥山も初めてなので、連れて行ってもらいます。その報告もまた…。では、では。

白鳥山から望む犬ヶ岳、朝日岳
お風呂上りのビールならぬ冷たいお茶を飲みながら、今日の感激を忘れないうちに…。先週の越道峠に続いて最高のお天気に恵まれた今日の山行、行先は新潟県との県境の山・白鳥山(標高1286.9m)
登り口は、「山姥伝説の里」新潟県青海町上路地区にあり、最近は親不知からの栂海新道コースも人気があります。今日は坂田峠を取り付いて、金時坂の急坂を行くコースでした。でもそこは息つく間もない恵振山の坂を登る為の訓練と思い、ひたすらガンバル…。残雪も多かったのですが、中途半端に木々が起きていたりして歩きにくく、雪の消えた傍から咲く満開のカタクリやイワウチワ、マンサクにも励まされての登りです。途中935mのピークまでが結構キツイ…。
その後は遠くに連なる山々の名前を確認しながら、快晴の空にふーっと息をしてまた登り続けます。しばらく行くと視界の中には頂上に「白鳥小屋」、正面には犬ヶ岳、そしてその奥には朝日岳が見えて来ます。
立派な白鳥小屋に感心し、汗を拭ってからお昼の準備。もう用意万端のお姉さま方が、何やらお鍋にお湯を沸かし始めました。ネギとゴボウの香りを漂わせて「団子汁」の出来上がり。今日もひと口のビールと共に、「団子汁」が美味しかった!!
朝日岳と前朝日、そしてちゃんと朝日小屋も確認でき、今日の目標はクリアしました。(少し霞んで見えたので、私の安物デジカメでは朝日岳の様子はあまりハッキリしないかも)
下りは、先週のピッケルを使った「滑落停止訓練」の復習をしながら降りました(他人が見ると、まるで雪遊び!?)。が、何度もやると腕が疲れてきて「もうダメ…」。登り口に近づく頃には、金時坂の急坂に暑さが加わって汗が噴き出し、私の顔はまさに「金時さん」のように真っ赤でした。
登りはゆっくり写真を撮りながら2時間30分、下りは遊びながら1時間30分。
父もよく登った山…、来年からは毎年この時期に登りたいと思います。

年齢幅20歳、職業バラバラ、でもとても楽しい仲間達です。
(わざとボカしましたが、わかるかも…)

「白鳥小屋」入り口のアーチをくぐって。 photo by yonetaka
まだ結構雪がありますね。

カタクリの花が満開でした。
ちょっと光が反射しすぎて、上手く撮れていませんが、雰囲気だけでも…。

手術後に使っていた杖(ロフストランド)…娘が作ってくれたお守り付き
『人生は出会いとタイミング』・・最近よくそんなことを思うのですが、自分が管理人になることを決意する時にもいくつかの偶然が重なって、あとから気付いたら「やっぱり私が引き受ける運命だったのかも」等とヘンに納得している私です。
実は私は今から3年半前に「股関節」の手術をしています。もしこの手術があと1年遅かったら、「管理人・清水ゆかり」はなかったでしょう。今更ながら、主治医の先生に出会えたタイミングのよさを感じています。
今から4年前のちょうど5月、私はどうにも言い表しようのない足のだるさに気付きました。痛くはないのだけどだるくてだるくて…。スポーツも毎週やって、運動会も大好き、でも長時間椅子に腰掛けていると苦痛になってくる。医療関係に勤めていた私は、いくつかの情報の中から「あの先生が上手だよ」と教えられた整形外科のY先生を受診する事にしました。
私の右足のレントゲン写真を前にして、Y先生は「手術しましょうか!?」…いきなりの言葉に、私は「…」。病名は「右股関節臼蓋形成不全」、生まれつきだろうと思われる股関節の不都合が今「足のだるさ」となって現れているが、何年か放置すると痛みが出ていずれは「人口関節」を挿入することになると説明されました。
それから半年後、私は手術をしました。最初の1ヶ月はベットから下りる事も許されず、3ヶ月は絶対安静。車椅子にも乗りましたし、松葉杖も使いました。そしてリハビリの後、退院の時に使っていたのが写真のロフストランドという杖です。
幸いにも経過は順調でした。手術から10ヵ月後の平成10年秋には、無性に山の空気が吸いたくなり、先生に「恵振山の5合目までどうしても登りたいんです!」と直訴しました。主治医のY先生も山好きで、そんな私の気持ちを大切にして「決して無理をしないこと」を条件に許可が出ました(山を知らないお医者様だったら、怒られていたかも…)。台風一過の晩秋の5合目までの道のりにどんなに胸が高鳴ったか、山深い「濃い木々の匂い」は今でも忘れません。
平成11年の山開きには参加できる程に回復しました。しかしやはり手術から3年目までは、無理をしたり寝不足が続いたりすると時々痛みが出たりして周囲を心配させましたが、その後は本当に順調で、今は「管理人の仕事は大丈夫」と太鼓判を押されています。
病気一つしなかった私が、入院生活ではいろいろな事を教えられました。山へ登る事ができる喜びも改めて感じました。周りの皆さんの励ましがどんなに力になったことか…。様々な事が今の私自身に大きく役立っていると思っています。
手術を勧めてくださり、「山へ登りたい」等とわがままを言う患者をよく面倒見てくださっている主治医のY先生には本当に感謝しています。絶妙のタイミングで出会えた事、そして山の大好きな先生でよかった!!
小屋開けまであと20日。沢山の物資も集まり始めています。…ガンバレ、私の右足!!

5月28日(月)夕方の朝日岳
昨日夕方の朝日岳の様子です。雲もかからず久し振りにはっきり見えましたが、かなり雪が溶けて夏山の雰囲気を漂わせ始めました。写真では分りませんが、朝日小屋の屋根が夕陽にキラキラと輝いてまぶしい位でした。
先週末から「日記」を書く時間が取れなくて、暫く間が空いてしまいました。本当は「日記」だから毎日書かなくてはいけないのかもしれませんね。実は26日(土)にごく身内で父の一周忌の法要を勤めました。そんな事もあり、ゆっくりパソコンに向かう事ができなかったのです。
命日は6月17日でまだ20日近くあるのですが、その頃には私も山の上ですし、立山の妹も身動きが取れないというので、少し早目に勤めさせてもらう事にしました。
あれからもう1年、まだ1年…。いろんな意味でそんな思いで一杯です。こういう気持ちを「信じられない」と表現するのでしょうか。子どもにとって親の存在は、「居て当たり前」なのかもしれませんし、そういう意味では「いつでも逢える、まだそこに居る」そんな不思議な気持ちでいるのでしょうか。
いつもは泣き虫の私が読経の中、不思議と涙が出ませんでした。きっと山の上に行った時には違った気持ちがこみ上げて来るような気がします。
もう少し頑張らなくては…。昨日の夕方キラキラ光っていた朝日小屋は、「早く、早く。待っているよ」と合図しているようでした。