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戸倉山山頂(975.5m)で、全員で記念写真 02.11.30
後列左から 本田(節)、斉藤、佐藤、本田(博)
前列左から 白沢、平石、私、
photo by 自動
先週末の土曜日は、またまた山へ。
まだ暗い早朝4時半に「夜なべ談義」で泊まった小川温泉元湯から帰宅し、急いで家事を済ませてから出発準備。しかしどうも怪しい雲行きに、霙の中での寒い山行になるのかと、少々不安。。。
今回連れて行ってくださったのは、糸魚川「いりやま岳友会」の平石武仁さんと、そのお友達で「とーろっこ山の会」「糸魚川労山」所属の皆さん達です。
戸倉山と言えば、伊那富士として有名な南アルプスの山が有名だそうですが、糸魚川の戸倉山(975.5m)も標高は低いけれどなかなかステキな山でした。
国道148号線の根知から折れてシーサイドバレースキー場の横を通り、車は狭い道を行き止まりまで走ります。川の対岸には、駒ヶ岳、鬼ヶ面山、鋸岳の岩稜の山肌が迫り、そして百名山で有名な雨飾山の頂も薄い雲の中に見え隠れしていました。
歩き始めから雪もありましたが、それ程の急登もなく、途中には新潟県・糸魚川市側と長野県・小谷村側にそれぞれ立派な休憩所が建てられており、また神秘的な雰囲気を漂わせた池が2つもあって、本当に楽しく登れるステキな山でした。
山頂は360°の展望が利いて、日本海、糸魚川市街、シーサイドバレースキー場、雨飾山をはじめとした頚城の山々、そして白く聳える北アルプスの山並みまでを見渡す事が出来ます。また今回の道は、糸魚川市山口から信州小谷村大網地区へ抜ける「塩の道」を辿るコースでしたので、途中には何百年も昔の古い石造りの道標なども残っていて、歴史を感じさせる趣きがありました。
心配した雨も大した事はなく、日本海側特有の重く湿った雪は40センチ程ありましたがゆっくり登っても2時間足らず、本当に楽しく遊んだ雪山でした。

湖面に映る山の姿も神秘的
「白池」は、農業のかんがい用の人工池だそうです。
山並みは、左から駒ヶ岳、駒ヶ岳東峰、鬼ヶ面山、鋸岳

雨飾山山頂はうっすらと雲がかかっていましたが、それでも立派にその姿を見せてくれていました。
私はまだ雨飾山に登っていませんので、来年は必ず行きたいと思います。

小屋の中もきれいでしっかりしています。トイレもありました。

登山道も、地元・糸魚川市山口区の皆さんが整備していらっしゃるそうです。

新緑の頃、紅葉の時期にも訪れてみたいですね。

ジャン・ジャンセン美術館にて 02.12.3
3日(火)〜4日(水)、所用があって白馬村・大町市方面へ出掛けて来ました。
その折、用事を済ませた後久し振りに写真家の増村征夫さんにお会いし、案内していただいて穂高町の「ジャン・ジャンセン美術館」を訪ねました。
今回の同行は、OさんとYさん。
私は絵画や美術といった分野に全く疎く、もちろん自分から好んで美術館に足を運ぶという事はないのですが、雪を被った北アルプスの麓で落ち葉を踏みしめながら歩く初冬の安曇野には、美術鑑賞が何とも似合いますネ。
ピカソ、シャガール後のフランス画壇を支えると言われるジャン・ジャンセンだそうですが、少女を描いた「踊る女」の作品たちには私なりに何かしら心惹かれるものがありました。
常々増村さんに言われている、「ゆかりさん、時には美術館や作品展に足を運ぶのもいいものですよ。背景や構図、光りと影など明暗の対比、それから色使い等など、写真を撮る時の勉強にもなります。それから、ゆったりと音楽を聴いたりするのもいいですね。」という言葉の意味が分かるような気がしてきます。
夜は、増村さんお気に入りの「ゆいペンション」に宿泊。増村さんが著書『信州花めぐりの旅・とっておきのスポット23』の中で“まるでかくれ家とでも言いたくなるような”と紹介していらっしゃる宿です。
夕食を頂いてから、オーナーの由比さんを交えてみんなでダーツに興じたり、夏の間に私が撮った写真を見ていただいたり、夜が更けるまでおしゃべりをしたり…。
岩岳スキー場の麓・どんぐり村にある「ゆいペンション」は、白馬連峰を眺めるミズナラの森の中にありました。オーナーご夫妻の家庭的なおもてなしと静かな雰囲気が、忙しい時の流れを忘れさせてくれるようでした。

増村さんは、お友達と時々いらっしゃるそうです。
それから、本を仕上げたり、編集者の方との打ち合わせの時にも。
増村さんの“ひみつの場所”(!?)

ゆいペンション 02.12.4
今シーズン増村さんは、仕事他諸々の事情で朝日小屋に一度もお見えになりませんでした。ですから、シーズン中に私が撮り溜めた写真を見ていただくのは初めてです。
春に負釣山で撮ったイワウチワの写真は“ぼろぼろ・ボロボロ”に評されてしまい、「もう二度とカメラは持ちたくない」と思ったほどでしたが(笑)、後で聞けばそれも増村さんの深い愛情だったとか(爆笑)。
今回は、花を撮った写真は「まだまだ」ということでしたが、山や風景を撮った中には「まあまあ」と言っていただけたものもありました。 怖くて(?)ネガのまままだ一枚もプリントしていなかったので、増村さんに選んでいただいたのを中心にして、自分で気に入ったものを引き伸ばしてみようかなと思います。

白馬館ビルのエレベーターの中に貼ってあったポスター
photo by 菊池哲男
白馬駅前にある、白馬館本社へも初めてご挨拶に行って来ました。
松沢社長さんはいらっしゃいませんでしたが、西澤部長さんとお会いして来ました。
白馬山荘の若林支配人他の皆さんは、それぞれすでにスキー場などの「冬の勤務先」で仕事に就いていらっしゃるそうです。

あさひコミュニティホール アゼリアにて 02.12.7
7日(土)、「北アルプスゴールデンルート」のミニ・フォーラムが朝日町のアゼリアで開かれました。
「北アルプスゴールデンルート」とは、富山商工会議所などが提唱する富山〜糸魚川〜大町・松本〜高山を結ぶ長さ約360`の、まさに北アルプスをぐるりと一周する沿線の呼び名だそうです(…私も、今回初めてその名称を知りました)。
私も昨年管理人になってから、公私共に、山小屋関係の繋がりやまた他の山を歩くにしても、これまであまり意識していなかった北アルプスに関係する4県との結びつきを強く感じる機会が多くなりましたので、今回は要請があり初めて参加することになりました。
岐阜・長野・新潟・富山の沿線4県から、観光ボランティアやまちづくり団体などの関係者約60名以上が参加し、それぞれの地域の特徴や活動内容を報告したり、また今後ルート沿いの特産品や食文化、祭りなどの伝統文化や温泉などの魅力ある観光資源をお互いに理解し、同ルートのPRへ連携を強めていくことなどを話し合いました。
6つのグループに分かれて意見交換をしたのですが、私のテーブルには新潟県から「越後いといがわ塩の道を歩く会」や糸魚川の民話を発掘し語り継いでいるグループの皆さん、岐阜県からは古川町などでまちづくりのNPOを立ち上げ奮闘する「木の国ふるさとづくりの会」の皆さん、富山市の観光ボランティアで頑張っていらっしゃる方、魚津の蜃気楼研究会の会長さん、そして地元朝日町からガイドグループの皆さん等など、元気いっぱいの面々が勢揃い。
朝日小屋は「観光」の中では山小屋という特殊な条件の下にありますが、北アルプスの最北端で、アルプスと日本海を繋ぐ特別の意味合いを持つ山小屋ですから、これからもいろいろと考えていきたい課題もあり、皆さんとの交流は大変有意義なものがありました。
また、人と人との交流を大切にし、地方の文化と同時にその土地の温かい人情をぜひ伝えたいと奮闘していらっしゃる皆さんの熱意と、「自分が住む土地を知り、何より自分が愉しんで他人をもてなしている」とおっしゃる皆さんのパワーに、今回は私も元気をもらって来ました。

朝日小屋(右)と前朝日岳 山頂までの登山道から 2002.9
2002年シーズンの“ご予約第1号”は、今年の1月にありました。それでも「まだシーズンまで半年以上あるのに、かなり早いなあ」と思っていましたが、2003年・来シーズンのご予約第1号が今日、高知県から届きました。
…来シーズンの事はそろそろ考え始めている私ですが、う〜ん、まだ早過ぎるような、早速来年の予約帳を作らなくっちゃ!!(笑)。でも、やっぱり有り難いことですね。
そういえば、今年は九州と四国からのお客様が結構おいでになったように記憶しています。さすがに北アルプスは遠いので、「一生にそう何度も来れないわ、憧れの北アルプスヨ!」と、皆さん楽しみにしていらっしゃるご様子でした。
今年の反省をしつつ、ボチボチ来年に向けての「秘策(!?)」を考え始めている私です。

今朝の富山県地方は、大雪に見舞われた 我が家の前で
11月中旬にNHK・プロジェクトXで放送された『魔の山大遭難・決死の救出劇』のビデオを見ました。
あらためて冬の剱岳をはじめとする山や自然の険しさや厳しさを認識させられると同時に、立山町芦峅寺の山岳ガイドや山男たち、そして富山県山岳警備隊の皆さんの偉大な力と深く結ばれた友情を思い、何度見ても涙してしまいます。
“38豪雪”の年の「薬師岳・愛知大生大量遭難」を教訓に、翌昭和40年3月に発足した「富山県警山岳警備隊」。発足当初は、山の素人集団と評され、芦峅寺のベテラン山男達から指導を受けたといいますが、山岳遭難救助の現場は昔も今もまさに「命懸け」であることに変わりはありません。
それから5年…昭和43年12月末から44年1月にかけて340人が入山し、金沢大学のパーティーを含めた15パーティー・81名が猛吹雪で山頂に閉じ込められたという、「昭和44年・剱岳大量遭難」。その時の実話を元に、番組は構成されていました。
実は今朝の富山県地方は、昨晩から降り続いた雪が平地でもひと晩で40〜50センチ以上も積もったのですが、この日本海から吹き込んだ季節風の影響を受ける北陸地方の雪は、本当に何とも重く湿っているのです。
これが北アルプスの高山であれば、氷点下の気温の中で大量の積雪に加えて風速30メートル以上の強風、地吹雪、そして出来る「雪庇」。。。
管理人になってからの私は楽しい山行を重ねて、時々の『山』の素晴らしさや偉大さを心の底から感じるようになってはいますが、まだ本当の『山』の怖さには遭遇していません。しかし、山へ登る回数を重ねるほどに、的確な山の技術と知識の習得や経験の重要さ、頑強で且つ柔軟な精神力の養成、何より肉体的な鍛錬の必要性を痛感しています。
山岳ガイド・剱澤小屋の佐伯友邦さんが、「山は正直。いい加減な気持ちを持って山に入ると、必ずしっぺ返しに遭う」と話していらっしゃった言葉が印象的でした。
(誤解されると困るのですが、番組を見た素直な感想としては)
山岳遭難救助の現場は男の世界だなあと、つくづく思ってしまったのは、私が男でないからでしょうか。
それにしても、『山男』達の間に固く結ばれた絆と友情は、本当に素晴らしいです。

暖炉の温かさ ゆいペンションにて 02.12.3
私の手元には、『山の彼方に 郷 康彦警部補 追悼・遺稿集』があります。
番組の中に何度も登場された、故・郷 康彦さん。
今も県警山岳警備隊の現役として指揮を執っていらっしゃる椙田 正さんや、第一線を退いてからも後輩を思いやる城宝勝明さんと一緒に、昭和44年の剱岳大量遭難の現場に駆けつけた中に郷さんの姿を見て、私は涙が止まりませんでした。
郷さんは、昭和40年の富山県警山岳警備隊発足当時からその隊員となり、剱岳一帯を中心に数々の山岳遭難の現場でその力を発揮された後、48年3月に入善署勤務となり54年3月に富山北署勤務となるまでの6年間、朝日岳方面の山岳警備の任に当たられました。
昭和48年にはちょうど私の亡父が朝日小屋の管理人を任された直後だったこともあり、郷さんには大変お世話になった事を覚えています。また当時は、朝日岳でも死亡を含めた重大事故が発生した事もあり、郷さんがその力を大いに注いで下さったものでした。
あの頃私は高校1年生の15歳、郷さんは28歳。
私は、一体郷さんがどんな立派な山岳警備隊の仕事をしていらっしゃった方かを知る由もなく、「パトロールに登って来たお巡りさん」「コロコロっとした笑顔のお巡りさん」という印象でした。
「おう、ゆかり。俺、郷。GO!GO!」と私たちに冗談を言っては、いつも柔らかな笑顔でした。
また、今は立山室堂山荘へ嫁いでいる私の妹に「おう、法チャン。俺んとこへ嫁さんに来んか!?いいぞ。俺、法チャン好きながよ」と、その頃まだ中学生か高校生だった妹をからかっていた郷さん。追悼集「山の彼方に」には、いくら見合いをしても「ウン」と言わなかった郷さんの事を何人かの友人が書いていらっしゃいますが、法子へのひと言は子どもだった私たちをからかっての事だったのか、それとも本気もちょっぴり入っていたのか、今となっては分かりません。
その郷さんが、一度ふっと厳しい顔をされたのを今でも良く覚えています。
確か、昭和50年の雪倉岳の遭難の時。残念ながらその時は2名の登山者の方が亡くなってしまわれたのですが、その捜索の時だったでしょうか、まだ梅雨が明けず寒い雨が降っていました。
捜索隊の皆さんに暖を取ってもらうためにストーブを用意したり、あたふたしている私に『ゆかり、な〜ん、ストーブなんかいらんちゃ。山行くモンやったら、これ位の寒さ我慢せんにゃ。少し濡れとっても自分の体温で乾かすもんよ!』
忙しそうに走り回る私たち小屋の者を思いやり、気遣って下さった言葉だったと思いますが、その郷さんの横顔に、山の自然の厳しさを垣間見せられ知らされたような気がします。
昭和60年5月27日、上市町伊折地内で山菜取り最中に死亡した老人の捜索救助活動に際し、その遺体を搬送途中、突然崩壊した約1トンもの雪塊の下敷きとなり殉職された郷さん。その日の驚きと哀しみは、今でも忘れられません。
郷さんが生きていらっしゃったら、私が父の後を継いで朝日小屋の管理人をやっていると知って、きっと心配してそして励ましに、北又からお土産を担いで登って来てくださったことでしょう。大好きだったホルモンをつつきながらお酒も一緒に飲みたかったし、山のことなどいろいろ教えてもらいたかったと残念でなりません。
あらためて、郷さんのご冥福をお祈りいたします。

ありし日の佐伯 守さん
北アルプス三県山小屋協会総会にて 02.2.28
立山天狗平山荘オーナーで、現・立山山荘協同組合理事長の佐伯 守さんが、14日午前11時50分、感染性心内膜炎のため富山医薬大付属病院で亡くなられました。68歳でした。
前・北アルプス山小屋協会会長。
佐伯さんは、昭和44年の剱岳大量遭難をはじめ数々の遭難救助活動に尽力された他、北アルプス立山一帯の自然保護に力を注がれるなど、現職の理事長として今日まで立山山荘協同組合の発展に寄与されました。
今年2月に立山で開かれた三県山小屋協会総会では、会長として総会の成功に尽くされましたが、その時には司会役を務められるなどとてもお元気な姿を見せていらっしゃったのに、本当に残念でなりません。
私は亡父からバトンタッチして昨年から山小屋協会に加入しましたが、立山室堂山荘の法子の姉だということもあって、守さんには当初から「ゆかりちゃん、ゆかりちゃん」と可愛がってもらい、またいつも励まして頂きました。
昨年9月に立山で三県山小屋協会の研修会が開かれた折には、「ウチでお茶でも飲んでいかんか?」と天狗平山荘へ寄り道させてもらいました。お部屋や食堂を案内してもらい、コーヒーを飲みながら小屋の話や自慢のお食事のこと等など、いろいろ教えてくださいました。また室堂山荘から雷鳥荘まで守さんと一緒に歩く機会もあり、その時にもいろいろなお話を聞かせて頂きました。
秋頃から具合が悪そうだと聞いていましたが、少し調子が良くなられたら一度お見舞いに行って来ようと妹と2人で話していたのに、それも叶いませんでした。
昨晩は、阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さんと一緒に、芦峅寺の佐伯さんのご自宅へ弔問に行って来ました。気丈に弔問客の応対をされるご家族の方々の姿、そしてガクッと肩を落とし目を真っ赤にしておられた剣山荘の佐伯功麿さんの姿が涙を誘いました。
ご葬儀は17日、私も参列して最後のお別れをして来ます。
佐伯 守さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

水平道と頂上周りの登山道「分岐点」 02.9.11
亡き郷 康彦さんの想い出、そして佐伯 守さんの訃報。。。と、哀しい話しが続きましたので、少し私の近況報告でもしましょうか。
10月16日に小屋を閉めて下山して来てから、今日でちょうど2ヶ月。
一時期の、頭の中が空っぽで全然回らない状態から、どうやらようやく抜け出すことができたみたい…(笑)。
下山して来ても山ばかり行っていたから当然なのでしょうが、山の上では真夏の最盛期でも小屋のこととお客様のこと、お天気やアルバイトのみんなのこと位を考えていれば良かったのです。買い物にも行かないし、銀行にも縁がないし(笑)、とにかく行動範囲は限りなく狭かった!!
でも家へ帰ってみると…
夏休みに小屋を手伝ってくれた高校3年生の二女・三女(双子)は、私が下山した頃にはすでに「受験生モード一色」で、休日も模試を受けに学校へ。決して教育ママではない私も、夜遅くまで机に向かっている娘たちを見ていると、さすがに最近は自分ばかりが遊びに行っていられないかなぁと思うのも親心!?
しかし、夫や子どもたちの毎日のお弁当作りも、家族の朝晩の食事の用意にも、何だかポワーッとしたまま気持ちが入らない毎日がしばらく続きました。
買い物に出たら出たで、何ヶ月も行っていないのでどこの売り場に何があるか、どの棚に欲しいものが並んでいるか探すのが大変!!あったはずのお店が無くなっていたり、新しいショップが開店していたり。
小刻みに用事があって外出したり、会議などへの出席も、やっと重い腰をあげなければ身体も心も自分からスッと動こうとはしてくれません。「コタツの子守り」が一番、と思う時も(笑)。
贅沢な悩みと思いますが、下界の“フツーの生活”のテンポについて行けない、自分の頭がどうにも回転しきらない、そんな毎日の中で感じる苛立ち、不安、もどかしさ…そういえばこんな現象は、出産の後に職場復帰をした時の感じとどこか似ているような気がしていました。
そして私が一番危機感を感じたのは…「緊張感」の無さ。
特に時間が自由になるという事、そして上司がいないという事が、ともするとダラダラした生活に繋がります。今日やりきらなくてはいけない用事も「明日、明日」と先延ばし。また例えば買い物に出る時にも、トレパン姿で「まぁ、いいか!?」とノコノコ平気で車に乗ってしまう“オバサン状態”(笑)。
そしてそして、緊張感の無さが生み出すのは。。。
やっぱり『体型の変化』。。。うぅぅ
しかし12月も中旬になって、そんな“浦島太郎”の状態からやっと一歩抜け出したように思います。まだまだ以前のような「とことん・エネルギッシュ」なゆかりには遠いような気もしますが(笑)、やっと下界のテンポに合ってきたみたい。
そうこうしているうちに、きっと12月が過ぎて新年。
子どもの受験に気を揉んでいるうちに、きっと春。待遠しいなぁ…。
そしてすぐに、小屋開けの準備が始まる5月…!?

「天狗の親父」さん、有り難うございました。
三県山小屋協会総会・懇親会にて 02.2.28
17日、天狗平山荘の佐伯 守さんのご葬儀に参列して来ました。
「天狗の親父」として、人のために力を惜しまなかった守さんのそのお人柄のせいでしょう、ご葬儀にはご親戚の他に、山小屋関係者、天狗平山荘のアルバイトOB、山岳警備隊関係、写真家、大学山岳部やスキー部、地元ライオンズクラブの皆さん等など、会場に入りきれない程大勢の皆さんが全国各地から集まって来られました。
高校を卒業してから50年、どうしたら登山者の皆さんに喜んでもらえるかを模索し続け、山一筋、山小屋一筋に生きて来られた守さん、その生き様は3代目・賢輔さんにしっかり受け継がれようとしています。
最後に、ありし日の元気な佐伯 守さんの姿がスクリーンに映し出されました。
人を愛し、人を慈しみ、山を愛し、そして厳しい自然や山からたくさんの事を教えられ。。。「天狗の親父」さん、本当にご苦労様でした。安らかにお眠りください。

右は私の足、左は500gのオモリ
山にずっと入っていると、いかにも山歩きばかりして鍛えているかと思われているようですが(笑)、特に繁忙期の7月20日過ぎから8月中旬のお盆頃までは、よほどの用事がない限りは小屋の外をグルッと一周するくらいがやっとです。
特に忙しい土・日曜日の私は、殆ど受付から離れることはありません。口はずっと動いているのだけれど(笑)、足も身体も椅子に腰掛けたままであまり動いていないのです。(トイレに行く時間もままならないくらいです)
だからかぁ。。。山(小屋)にいても、ちっとも体力が付かないばかりか、9月になっていざ山を歩こうと思うと足も身体も重いのなんの。
シーズンオフの間にもっと何かしなければと思いつつ、プールもジョギングも「1日坊主」(笑)。
そこで…両足にオモリを付けて、一日中過ごす事にしました。
実は、5年前に股関節の手術をした後3ヶ月間リハビリをしましたが、その時には同じようにオモリを付けてずっと『大腿四頭筋』他の鍛錬を続けましたので、家に居ながらにしてできるのはコレしかない!と、始めることにしました。
オモリの重さは、片方500g。夜にちょっと足を動かす時には、もう500gを付けて片方1キロにします。主治医のY先生にも相談したら、「いいですねぇ、続けてください」と励まされました。
春になって、オモリを外して登山靴を履いたら、足が軽くなったように動いてくれるかしら、期待しようっと!!
…甘いかなぁ?(笑)

入善町から見た、朝日岳 02.12.14
先日お会いした阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さん、礼服の下に半袖カッター。
「えっ、泉さん半袖なの!?」と聞いたら、「おう、あんまり長袖持たんのヨ」
「えっ、もしかしたら鍛えるため!?」
「まあ、そんなところよ」
…ふ〜ん、やっぱり違うなぁ。山男は。
私なんて、昔は薄着で通していたのに、最近はちょっと寒いと思ったらすぐにフリースを一枚余計に着ようとするんだから。
亡き郷さんの「着ているものが少しくらい濡れたって、自分の体温で乾かすもん」と考えは一緒で、やっぱり普段からの『心身の鍛錬』が大切なんだなぁ。
山は、厳しいんだもの。納得。

左から 美枝さん、由起子さん、ひろみちゃん、私
02.12.20 由起子さん宅にて
20日、今シーズン“週末従業員”として、大忙しの週末ごとに朝日小屋の厨房を手伝ってくれた皆さんと、今年の反省と称してお鍋を囲みながらのおしゃべりを楽しみました。
3人の週末従業員の皆さん、今シーズンは一体何回朝日小屋に通ってくれたと思いますか!?…
小屋開けにもヘリコプターで上がって来て手伝ってくれた美枝さんは、朝日中学校の集団登山会の時など、小屋閉めまでに忙しい時ばかり6回も。そして“天ぷらの達人”として、汗を拭きながら延々3時間以上も天ぷらを揚げ続けてくれました。
“元気印一番”の由起子さん、今シーズンは山開きから小屋閉めまで8回も通って来てくれました。9月初めに交通事故で1週間も入院するアクシデントに遭ったにも関らず、本人曰く「日頃からの鍛錬と、重いザックを担いで山を登っているから・笑」ということでムチウチ症の後遺症も軽く、小屋閉めには驚異の復活を遂げたのです。
そして“週末従業員・見習い”と言いつつも、昨年初めて朝日岳に登ってから『ハマッてしまった』ひろみちゃん。今年はナント4回もお手伝いに来てくれました。彼女に言わせると「あんな辛い道のりをやっとの思いで小屋に着いて、休む間もなく厨房を手伝うなんて想像もしていなかったけど、コレが出来るんだよねぇ。本当に不思議!」
今シーズン一番込み合った7月最終土曜日には、この“週末従業員”の皆さんが絶大なる力を発揮してくれました。戦場のような厨房で、若いアルバイトのみんなの先頭に立って声を出し続けてくださいました。
夕食の準備から後片付け、お弁当作り、翌日の朝食の準備までの全てを午後10時までに完了することが出来た(コレは驚異的!!)のも、若いアルバイトのみんなのパワーと、熟達した主婦の力・「お○○さんパワー」の結合があったからと思っています。
女が寄るとかしましいのは当たり前、今シーズンの反省から来年の展望まで、ああだこうだと日付が変わるまでおしゃべりをしました。山のシーズンが終っても、皆さんのパワーは健在でした!!

阿曾原温泉小屋の佐々木 泉さん
抱いているのは、阿曾原の番頭さん“大仏さん”(中山さん)の長男
22日には、阿曾原温泉小屋の泉さんに誘われて、宇奈月の阿曾原温泉小屋「独身寮」での忘年会に行って来ました。
新米管理人の私は、同じ山荘組合に所属している泉さんにはいつもいろいろ心配してもらったり声を掛けてもらっていますが、「お〜い、身内ばっかりでワヤワヤやけど、良かったら来んかい!?」と誘ってもらいました。
今回は泉さんとステキな奥様、祖母谷温泉の峰村さんところの若夫婦、阿曾原温泉の番頭さん・大仏さんのご夫婦、それからアルバイトや居候のみんな等など、泉さんとその仲間が子ども達も含めて20名ほど集まりました。
とびきりのご馳走は「キジ鍋」「地元で獲れた油の乗った寒ブリ」、他にもみんなが持ち寄ったご馳走がいっぱい、そして各地の地酒も。奥様のお料理も最高、本当に美味しかったです!!
初めてお会いした皆さんもいらっしゃいましたが、とにかく山の世界は狭いので、話しているといろいろ繋がりがあって楽しい会話も弾みます。泉さんの気さくで面倒見の良い人柄のせいでしょう、若い人から年配の方まで、いつもいろいろな方が泉さんを慕って集まってきていらっしゃるようです。
ご存知の通り、元富山県警山岳警備隊の隊員だった泉さん、話していると、心から山を愛し、自然の素晴らしさとともにその厳しさを知り、何より登山者の皆さんの事を真剣に考えていらっしゃるのが良くわかります。山に向かうその姿勢は、新米の私にいつも勇気と力を与えてくれます。
これからもいろいろ教えて下さい。よろしくお願いします!!

日本海に沈む夕陽 朝日小屋前から 02.7.28
2002年も残すところ、あと数時間となりました。
皆さんの一年はどんな年でしたか??
…ステキなことはありましたか?
…どこの山へ登って、どんな楽しい山行がありましたか?
今年の私は、山・やま・YAMA…と言ってしまってはかなり大袈裟ですが(笑)、それでも「管理人2年目」は、シーズン中はもちろんのことシーズンオフも、1年目以上に毎日毎日が山と関った生活でした。
楽しかったことはもちろん沢山ありました。
数え切れないくらいの嬉しさもありました。
寂しい思いや哀しい気持ちの時もありました。
辛い思いもそれなりに。
今年の反省は様々いろいろありますが(笑)。
「どうだった?」と、周りの皆さんが心配してくれた今シーズンの賑わいですが、お陰さまで、繁忙期1ヶ月間の天候に恵まれたこともあって宿泊者数は2001年よりも少し伸びて、ここ数年の中でも多いほうでした。
雑誌やテレビで紹介されて少しぐらい注目されたとしても、立山などのコースと違って、天候が悪ければお客様はおいでになりません。特に朝日小屋のような北アルプスの最北端の山ともなればアプローチが長い為、数日間安定した天候が望めないとすぐにキャンセルの連絡が入ります。
今シーズンは7月上旬に早くも台風が接近し、「もしかして今年は台風の当たり年?」と心配しましたが、それほど影響が出るようなことはなかったようで、全般的に安定したお天気が小屋の営業には幸いしたと思います。
事故・遭難は7月中旬から月末にかけて立て続けに数件あり、一時「件数で剣・立山方面と並んでいるらしい(?)」という事態もありました(山域の規模そのものが全く違うので、朝日岳での頻度が高かった事がわかる)。
その多くが木道での転倒・骨折事故で、また炎天下での行動による熱中症と軽い高山病もありました。しかし不幸中の幸いというか、死亡事故はゼロでした。
第一報を受けてすぐさま救助隊員の哲也や他のアルバイトのみんなが出動したり、私が無線に張り付き関係機関への連絡に追われたり、最盛期の小屋もかなりバタバタしましたが、運良くガスの晴れ間に間一髪ヘリコプターで救助し負傷者を素早く病院へ搬送できたケースや自力下山がほとんどでした。
管理人生活も2年目になり、果たして続けることが出来るか内心「大丈夫かなぁ」と心配していた『管理人日記』も、たくさんの皆さんの励ましを頂きながら書き続けることが出来ました。
そして今日、「管理人日記」のアクセス数が130,000件を越えました。本当に有り難うございます。
シーズン中も、朝日岳登山を計画する中でこのホームページを見つけ、山行当日の出発間際までアクセスを続けてくださった皆さん。また下山後には、ご自分の山行と重ねてホームページを見ながら朝日岳を思い出してくださった皆さん。
今シーズンは毎日のように受付で、「ホームページを楽しみにしていますヨ!」と声を掛けていただき、そんな皆さんからの応援があったからこそ続けられたのだと思います。
一緒にシーズンを乗り切ってくれたアルバイトや週末従業員のみんな、
草刈りや登山道整備など“縁の下の力持ち”として支えてくださった「大蓮華山保勝会」の皆さん、
県警山岳警備隊や救助隊、朝日町役場など、関係各方面の皆さん、
頼りない管理人を、それぞれの立場でいろいろと心配してくれた皆さん、
そして何より、朝日小屋に来てくださった大勢のお客様、
…本当に、皆様のお陰さまです。有り難うございました。
…来年も頑張りますので、応援をよろしくお願いいたします。
…どうぞ迎える2003年が、ステキな年になりますように。

朝日岳、山頂への道 02.6.17
管理人1年目の昨年、何やら『山』に目覚めた私。
どうしたわけか(ン?)山へ行きたくて行きたくて(笑)、2年目の今年は春からあっちの山・こっちの山をかなりウロウロしました。
1月には、救助隊の訓練に付いて雪の南保富士へ行きました。まさか自分が雪のある山へ登ろうとは…。
3月初めには負釣山へ。残念ながら頂上直下での撤退はありましたが、初春の陽射しがこんなにも気持ちいいとは思いませんでした。
3月末には白鳥山へ。みんなでワイワイ白鳥小屋で食べたご馳走とともに、春山の魅力に魅せられてしまいました。
4月中旬に登った初雪山。雪面の急斜面を登り少しのヤブこぎも経験して、山の厳しさにも少し触れました。朝日岳を間近かに見て感激し、早く小屋へ行きたいと強く思いました。
4月下旬には、犬ヶ岳・栂海山荘の小屋開けに参加。足を延ばして黒岩平まで行き、このまま朝日小屋まで行ってみたいと、本当に思いました。
5月の連休に、室堂山荘の妹の所でお手伝い。その時に剱御前小屋(泊)まで行って来ました。朝焼けに染まる剱岳の勇姿に言葉もありませんでした。
6月16日、小屋開け。「帰って来たんだ…」それからは夢中で過ごした4ヶ月でした。
9月上旬。少しヒマになった朝日小屋、休暇を取り大日岳へ登って来ました(泊)。朝日岳を下りた翌日の山行で少し疲れもありましたが、ランプの燈る大日小屋でのひと時が心に残ります。
大日岳から下山した翌日に蓮華温泉(泊)から入山、山麓道を通って雪倉岳(避難小屋泊)〜朝日小屋に戻って来ました。静かな山歩きでした。
9月下旬。朝日小屋から雪倉岳を越えて白馬岳(泊)までを往復。苦手だと思っていた“登り”に対して、そして自分自身の山に対する見方や捉え方にも少し変化があったように思います。
10月16日、小屋閉め。何だかとっても淋しくて…。
10月下旬、薬師岳・太郎平小屋まで。雪もちらつきました。そして晴れ上がった青空の中に浮かぶ冠雪の北アルプスの山々。初冬の山の厳しさ、そして素晴らしさ。
10月末。初めて行った上高地。そして膝から腰上まで積もった雪の中を、生まれて初めてのラッセルをして辿り着いた徳本峠小屋。青空にすっくと聳える穂高連峰・常念山脈、「登ってみたいなぁ」と思ったから不思議…。
11月下旬、今年最後の山は負釣山でした。7合目から見た朝日岳、そして朝日小屋の屋根が見えてまたまた感激。「早く来年の小屋開けにならないかなぁ」そう思いました。
来年も、もっともっと『山』へ登りたいと思います。