北アルプス 朝日小屋

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「富山弁」がワカラナイ!…てらちゃん編

2002-04-22

今日の朝日岳…雲ひとつない“ピーカン”のお天気で、雪融けも進む

 今朝の地元K紙に「富山弁」についての話が載っていました。自分達は日頃何気なく使っている方言ですが、やはり異郷の人が理解するのはかなり大変。
 「富山弁」にまつわるエピソードも、昨シーズンの朝日小屋ではいろいろありました。今日はその中からとっておきの「てらちゃん編」を。。。
 広島出身で東京で学生生活を送っていたてらちゃんは、他のアルバイトのみんなよりひと足早く7月14日に入山して来ました。見るからにおっとりしていて、話していても必ず相手の目を見て「はい、はい」と頷きながらニコニコと聞いているその様子からは、私のような“がさつな”ところは全く見受けられず、いかにも育ちの良い“好青年”の雰囲気が漂っていました。
 そのてらちゃん、来た早々ちょっとした失敗もあったりして、私は殆ど気にしていなかったにも関らず、どうやら本人はかなり緊張の日々を過ごしていたらしい。本当はいつ逃げ出しても(笑)おかしくないアルバイト生活だったとか…(あとから聞いた話、でも私はしっかりいろいろ気付いていました)。
 てらちゃんにとって、私のしゃべる「富山弁」はポンポンポンととても早口で、頭ごなしにまくし立てられているようで、まして何を言っているのか訳の判らない言葉ですから、毎日毎日怒られているようだったのではないでしょうか。私もそんな事にもっと気を配ってあげるべきだったのですが、哲也が割合すんなり順応していましたし、ゆっくり噛み砕いて標準語で話してあげる余裕もありませんでした。
 あれはてらちゃんが小屋入りしてから、まだ何日も経っていない日の夕方。その日は朝日小屋の発電機関係の面倒を一手に引き受けてくれている“ヨモじい”が上って来て、そのまま哲也と一緒に水平道へ草刈りに行ってくれました。「そんなにお客さんも多くないだろうから、夕方遅くなるまで帰って来ないぞ」そう言い残して出掛けました。
 小屋には私とてらちゃんの2人だけ。ところがゆっくり構えていたのに夕方続々とお客様がおいでになって、20名近くに。さあ慌てて準備に取り掛かりましたが、はっきり言っててらちゃんはまだ何も分からず、私一人で受付もして、バタバタと夕食の仕度も…そのうち発電機を回して電気を点ける時間になりましたが、まだ自信がない風なてらちゃんだったので私が地下の発電室へ駆け下りました。
 ところが。。。順番にスイッチを入れたはずなのに、発電機は回ったのに肝心の電気が点かない!! 小屋の中は段々薄暗くなって来るし、夕食の準備にも支障が出そう…
 「てらちゃん、水平道へ走って行って、ヨモじいに事情を説明してどうすれば良いか聞いて来て!!」「ハイ!」…そうしっかり返事をしててらちゃんは駆け出しました。
 そしてしばらくして、荒い息でてらちゃんが戻って来ました。「どうやった!?」「あの、あの…」「どうしろって?」「あの…」「何やって?」「あのそれが…、よく分からなかったんです…」「エーッッ、あんた何しに行ったがけ?もういいわ、あの2人が帰って来るまで待つしかないわ」
 電気の事はとりあえず諦めつつ、そう言い放って再び夕食の支度に掛かりましたが、暫くしてポッと電気が点きました。地下からてらちゃんが上って来て「ゆかりさん、点きました!」「スゴイじゃないてらちゃん、どうして直った?」「ナンカ、ただ、スイッチがひとつ入ってなかったんです…」ゴメンなさい、結局は私の単純ミスでした。
 その夜、いろいろ話を聞いてみると。。。
 とにかく水平道を大急ぎで走りに走って、ヨモじいと哲也が草刈りをしている現場に辿り着きました。しかし「あの、あの…」と説明するてらちゃんに、『コテコテの富山弁』プラス『朝日町・山崎弁』丸出しのヨモじいも一生懸命説明してくれたはずなのですが、これが何度聞き返しても全くチンプンカンプンで全然分からない。5回も6回も聞きなおしたそうです。その内、「しゃー、ばー、おらたつ、もうすぐ帰って来っから待っとれ!」と言われたらしい(笑)
 早口なのでもちろん分かり難いのでしょうが、「しゃー(それは、そしたら、の意)」「ばー(おまえ)」「おらたつ(俺達)」…とにかく何を言われたのか全然理解できず、とにかく小屋に帰って来たらまたまたゆかりに呆れられる始末。何とかしなくては、と発電機をいじっていたら点いたので、ホーーッとしたという事でした。
 「てらちゃん、あんた、分からんかったらちゃんと言わんとダメやよ。分からんかったら分からんて…」そうは言っては見たものの、無我夢中のてらちゃんの様子を想像しただけでナンダカ可笑しいやら可哀想やら(笑)。
 普段の私の言葉といえば、語尾に何か付けるのが特徴でしょうか。「…やっそ」「…がけぇ」等など年を重ねるにつれて段々それが激しくなって「富山弁」が強くなっていくような気がします(笑)。
 それ以降も、てらちゃんの富山弁への理解はなかなか思うように進まなかったようですが(笑)、それでもいつもニコニコと「はい、はい」と優しく頷いていた彼でした。今頃きっと新社会人として、あの人懐っこい明るい笑顔で頑張ってくれていることでしょう。朝日小屋でも逃げ出さずに最後までやり遂げたのだから、きっと大丈夫!!