「日記」を書けない時
2004-01-26

今朝の様子 すっぽりと雪に埋もれた我が家の前で
太平洋側の地方にお住まいの皆さんからは、菜の花や梅の花の開花などひと足早い春のお便りを頂いていますが、ここ数日降り続いている雪の為、富山県地方は何処を見ても雪、雪、雪…の真っ白い世界の中です。
「ここしばらく日記を書いてないかなぁ?」と自分でHPを開いてみると、21日にチラッと書いたきりまた4日間ほどの空白。それ程忙しくしているわけでもないし、書こうと思う記事はあるはずなのですが、あっという間に日は過ぎていきますね。
さて…
12 月初めの頃のように『スランプ状態』の時は、「書かなくては」とどんなに気持ちの中で焦ってみても全くパソコンに向かおうという気持ちさえ起きない時もあるものです。また「書こう、書きたい」と思いつつも、難しく考えすぎている時もあれば、書きたいことがあり過ぎて何から書いていいのか迷っているうちに時が過ぎてしまい、時系列の“旬”の話題を提供できなくなって止めてしまう場合などもあります。
昨日、いつも私の日記をチェックしてくれている友人と話していたのですが、頻繁に読んでくれている方達は、どうやら最近の私の「日記の傾向」がわかってきているみたいで(微笑)我ながら何だか可笑しくなってしまいました。
ワイワイ楽しい山歩きをしてきた後は、かなりすんなりと日記が書けるのはこれは当然かもしれません。いろいろ新しい発見があった場合、心を揺り動かされる場面に出逢った時などは、すらすらと文字が出てきて書いていても楽しいひと時です。
会合・会議での内容や様子をお知らせする場合などは、事実を忠実に書こうと思いますし、皆さんにお知らせしなければいけないことがある場合などは、自分の考え方も含めた問題提起になる場合もあり、こんな時は結構気を遣っているつもりで少し頭をひねりつつ悩んだりする時もありますね。
順調に書いていた日記が大した理由もなくポツンと途切れてしまい、それが“何とはなしに”『スランプへの入口』になる場合もあります。
今だから正直に話せる(笑)、というコトもあります。
友人にも「やっぱりねぇ、何かヘン、何かあると思った!」と言われたのですが。
実は…
例えば、10月に祖母谷温泉・阿曾原温泉小屋へ行った時の日記。「何だか、ヤケにあっさりとしていたんじゃないの!?」と思われた方も多かったのではないでしょうか。出掛ける前の日に、嬉しそうに元気良く書いていった割には、帰って来てからの日記は案外素っ気無かった(苦笑)。
タネを明かせば。。。
あれは私達が水平歩道を歩いていないから書けなかったんです。長くなるので詳しい事情は割愛しますが、水平歩道を歩くのに苦労した雰囲気や紅葉に感激した様子が全く載らなかったのはそのためです。
無理やり阿曾原温泉小屋の露天風呂に入っている入浴シーンは撮って来ましたが、阿曾原温泉小屋もお客様が多くて忙しかったので、小屋の皆さんとの楽しい雰囲気を載せることはできませんでした。
また、写真家の森下 恭さんと歩いた烏帽子岳・野口五郎岳。その様子がなかなか日記に載らなくて、「どうしたの、無事に帰って来たの!?」「森下さんとケンカでもしたの!?」「何かあったの??」、皆さんはいろいろ心配してくださっていたようですね。
あれは、書けなかった。。。
何故かといえば、森下さんと私は「不十分な装備で、初冬に近い山へ登った」からです。読者の皆さんからの批判を予想できたからです。
七倉山荘に泊まり烏帽子岳を目指した日、北アルプスは好天に恵まれ、その後数日間の天気も晴天の予報でした。森下さんと私の予想は外れ、重たい大量の水を担ぎ上げなくてはならなくなって、その分装備の中から私はピッケルとアイゼンを置いていくことにし、また森下さんもピッケルのみを持つことになりました。
結果は、三ッ岳のトラバースでかなり危険な目に遭うことになりました。ガイドも務めるプロのカメラマンと山小屋の管理人が、不十分な装備で厳しい北アルプスの山に登ったということは反省や教訓として残ったのですが、やはりその事実を日記にはどう書こうかと悩んでしまったわけで、そうこう思い悩んでいる内に日だけが過ぎていったということでした。(ただし、森下さんは大丈夫という確信をして行動されていたのですから、私が思い悩むことではなかったのかもしれませんが)
また烏帽子岳・野口五郎岳行きは、森下さんの写真撮影のための山行であったわけですが、何度か一緒に連れて行ってもらっている山行で見る森下さんとは違う、かなり厳しく寡黙でひたすら山と向き合っている森下さんに、ある種“圧倒されていた”私が居たのかもしれません。だから、その雰囲気がうまく表現できずに悩んで書けなかったのだと思います。
それから、三県遭難対策連絡会議。これはただ忙しかったから書けなかっただけなのですが、さすがにあの頃は超多忙で、その後の東京行きがありましたので時系列で書こうとすると時間が足りませんでした。
そして、11月28日の中西俊明さんのパーティーの記事。これは本当は書きたかったですし、書かずに終わってしまったのは本当に残念でした。
今まであまりそんな“ヘマ”をした事はないのですが…実は、デジカメのバッテリーを忘れてしまったのです。
飛騨の会議から帰って来て、中一日置いて東京へ。ドタバタと準備をしたのですが、バッテリーを充電したままカメラの中に入れてくるのを忘れたことに電車の中で気付きました。東京駅で同じモノを購入したのですが、お店の人からは「完全に放電してあるはずなので、多分使えないでしょう」と言われましたが、それでもと思って買ったバッテリーはやはり使い物にはなりませんでした。あぁぁ〜〜、不覚…。
パーティーには、名立たる山岳カメラマンの方達も大勢お見えになっていらっしゃいましたし、女優の市毛良枝さんの姿もありました。中西さんや菊地哲男さんに紹介して頂いて市毛さんともずい分山の話しをしたのですが、残念ながらデジカメを持っていなかったのでその様子を日記に載せることはできませんでした。
シュンちゃん達との負釣山テント泊山行で、ようやく「日記復活」となったわけですが、この時は「今日は書こう、明日は書こう」と数日前から悶々としていました。でも私の中では「書けなかった理由や、スランプの原因」などを最初にどう書き出そうか、それを書かなければ次に進めない、そんなことばかりを考えて前に出られなかったのです。
しかし、そう思えば思うほどまたまた書けなくなってしまいました。私の中では“順番に”書かなくてはという思いがあり過ぎていたのです。
でも、その間次第に「書きたくなるまで、焦らずに待とう」と思えるようになり、楽しい出来事をスッと素直に書いてしまったら、その後は次々と書くことができました。
「日記を書けない時」…その理由はあったりなかったり。私の状況も様々です。
続けることはとても大切なことですが、私は“物書き”を職業としているわけではないので、これからも「書かなくては!」と余りガチガチにならないようにしていくのが良いのかなと、少し自分に余裕を持たせてやるようにしたいと思います。
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