日帰りで、東京へ!
2006-05-04
リハーサル中の末娘・結 東京オペラシティリサイタルホールにて 06.4.29
会議が立て続けにあった先週(先月末)、そして週末4月29日は日帰りで東京へ。末娘が音楽コンクールに出場するためでした。
朝一で出発して東京駅に降り立ち、中央線で新宿へ。新宿から京王新線に乗り換えて、初台駅へ。
前日から上京していた娘が、途中心配して何度も連絡を入れて来ました。
私は前日が遭対協の総会で、飲み会が終わって帰宅したのが午前1時過ぎ。とにかく寝なくては、と床に就いて2時間後には起き出してシャワーを浴び、朝一番の電車に飛び乗りました。
寝過ごして電車に乗れなかったのでははないかと心配する、末娘。
そして、ちゃんと新宿駅に向かったのか、京王新線の乗り場が判ったのか…等など。東京へは滅多に行かない私が、余程「オノボリサン」と思ったのかしらん。
でも、ちゃ〜んと目的地に着きましたょ。
大丈夫。地図も持っているし、案内板を見ながら歩けるんだから!!
東京オペラシティーホールは、とても大きな建物でした。
その中の小ホールで、今回のコンクールの本選が実施されたのですが、実は娘は、出場33名中“トップバッター”だったのです。
また、大人の方たちに混ざって、高校生は3名程だったでしょうか。
…母の“ドキドキ”は、それはそれは、今まで経験したことのないくらいでした。
今は結果待ちの状態ですが(当日発表ではなかった)、まぁ、無事に終わってヨカッタです。
53階のレストランで遅い昼食を済ませて、有楽町から銀座へ。お目当ては、大きな楽器店。私はお付き合いだけして来ました。
最終の新幹線に乗って、その日の深夜に帰宅しました。
人混みは、タイヘンです。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、まるで「一年分の」数の“人間”を見たような一日でした(苦笑)。
山を歩いたのと同じくらい、疲れましたネ。
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明日からは、北又へ!!
2006-05-04
銀座を歩いたのに、そこは「富山」だった! 06.4.29
明日から、2泊の予定で北又へ行って来ます。
もちろん、未だ林道は雪の下で開通していませんので、ずっと歩きです。
好天に恵まれそうな、ゴールデンウイーク後半。
昨年の今頃は、退院して家で養生していました。
今年は、せっかくなので立山辺りへ出掛けたかったのですが、2日夜にも会合があったりして、どうにも予定が組めませんでした。
明日からは、北又へ様子見を兼ねて行って来ます。
林道は未だかなり危険な状態になっているでしょうから、多分谷筋の安全な所を見極めながら歩くことになると思います。
地元・山崎地区の方の案内で行きますので、大丈夫でしょう。
北アルプスは何処も、近年にないくらい残雪が多いという情報が入って来ています。
北又方面がどのような状況になっているか、現段階の様子を見て来ます。
またしばらく「日記」が途切れてしまいますが、『仕事』に行って来ますので、ご容赦くださいませ。
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「ご苦労様でした!」「有難うございました!」の 慰労会
2006-05-15
みんなで、記念撮影!! 06.5.13
5月13日朝日町にて、朝日小屋主催のある会が開かれ、大勢の皆さんが参加して大いに賑わいました。
朝日岳方面遭対協で、永年に亘り活躍された、前隊長の谷口邦夫さんと前隊員の谷 靖夫さん。
そして、富山県警山岳警備隊分隊長として任に当たられこの春に警備隊を退かれた、平野正樹さん。
前隊長の谷口さんは、救助隊の隊員歴40年以上、隊長になられてからでも20年以上で、朝日岳周辺でのいくつもの困難な遭難現場で陣頭指揮を執ってこられました。
また前隊員の谷さんも、30年近くに亘って救助隊員を務められました。その小柄な身体ながら、豊富な山歴で、いつも現場の最前線で活躍されてきました。
そして、今春県警山岳警備隊を退かれた平野さん。いくつもの遭難現場で山岳警備隊員としての力を大いに発揮して来られました。未だ若く、分隊長としてもこれからの活躍が期待されていたところでしたが、残念ながら隊を退かれたわけです。
この3名の方々を慰労する会を、朝日小屋関係者でぜひ催したいという声が上がり、急な呼びかけにも関わらず県内外から(それ以外にも!?)、37名もの皆さんが駆け付けて下さいました。
当日は、いつも朝日小屋を応援して下さっている皆さんの顔合わせの感もあり、今シーズンの小屋開けを前に、それはそれは賑やかな集まりとなりました。
夜が更けるのも知らずか忘れてか、二次会場の笹川連絡所では、気が付いたら完全に翌日となっていました。
また、狭い連絡所にシュラフを持ち込んだ面々他、ゴロゴロと20名近くが“お泊まり”という事態に…。余程、帰りたくないほど楽しかったということでしょうか!?
谷口前隊長と谷前隊員におかれましては、引き続き、朝日岳方面遭対協の救助隊相談役として、今後ともいろいろとご指導戴きたいと思います。
また平野さんにおかれましては、山岳警備隊は辞められましたが、今後も引き続き富山県警の警察官として別の重要な任に当たられます。
3名の皆様には、今後とも健康に留意され、また足繁く朝日岳にもおいで戴きたいと思っております。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。
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『怒涛のような!』毎日が。。。
2006-05-15
越道峠から見る、恵振山と朝日岳 06.5.5
北又から帰って来て、何の報告もしないで、早や一週間…、いくら何時ものこととはいえ、本当にすみません。。。
帰って来てすぐは、どうしても緊急な仕事をいくつかこなし、その合間に13日の慰労会の連絡やら準備に追われました。
ここ数日、そしてこの後しばらくの日程です。
13日午前中は、交通事故で亡くなった高校時代の同級生の葬儀に参列。悲しいお葬式でした。
13日午後は、「慰労会」。翌日まで延々と続いた二次会で、その日の睡眠時間は約3時間。
14日は午後から急な昼食会。ちょっとお目出度い、畏まった席でした。13日の後片付けもそのままに出掛け、睡眠不足のままでしたが、さすがに帰宅してからは夕食も食べずに眠りこけてしまいました。
今日15日は、残った13日の後片付け。お天気が良かったので、お布団を干したりシーツを洗ったり。
明日16日は、午後から山小屋組合の総会。その後懇親会やらなにやら(またまた飲み会!?)。そして夕方からは、実妹や姪たちが笹川に泊まりに来ます。
17日。一ヶ月早いのですが、亡父の七回忌。ごく身内だけで、お寺さんで行う予定です。そのまま実母や妹たちと宇奈月へ。宇奈月温泉で宿泊したことのない母や、東京に嫁いでいる三番目の妹夫婦と姪、そして立山の妹など、父の葬儀以来の顔ぶれで、みんなでホテルで泊まることにしています。こんなことは、初めてです。
18日か19日、どちらかは富山市内へ行きたいと思っているのですが、行けるかどうなるか…。小屋開けの準備です。例年の如く、そろそろ「お尻に、火!」が。
20日は、富山市内での結婚式に出席予定です。昨年の山開きで知り合ってゴールインされたお二人の、お祝いの席にお招き戴きました。
21日は、大蓮華山保勝会の登山技術講習会。越道峠付近まで行って、県警山岳警備隊員からザイルワークなどの講習を受けます。
まさに…「冠婚葬祭」、どれもこれも!!…の一週間。
気合を入れて、ガンバリマス!!!
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北又方面の様子
2006-05-15
5月5日現在の、北又小屋
とり急ぎ、北又方面の写真をUP。
例年と比べてどうか、ということが気になるところです。
私は、昨年は同時期に北又へは行けませんでしたが、一昨年のGWに北又へ入っています。
その時と比べても、雪はかなり多いと言えると思います。
例年この時期に北又周辺に入っている方の話では、「GWの時期とすれば」3週間から1ヶ月近く、雪融けが遅いのではないか、ということのようです。
実は、北又小屋に入った翌6日には、本当は5合目辺りまで行くつもりでした。一昨年には行っていたので、大丈夫だろうと。
しかし、吊橋を渡ってすぐの地点では、今にもブロック雪崩(底雪崩)として落ちてきそうな雪が、それも「垂直」に残っている状態でしたので、今回は、私は北又小屋止まりで、そこから先へは行きませんでした。
が、この「1ヶ月近く遅い」雪融けの状況が、夏山でどのようになっているか、それはあくまでこの後の天候次第です。
現に、GW開けの真夏日の後には、雪融けが一気に進んでいる様子も窺えました。
しかし、現時点で、『雪が多い』状態には変わりないということは確かです。
この後、21日にも越道峠辺りまで行って来る予定ですので、また報告したいと思います。
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越道峠では、3〜4mの残雪 (5月7日時点)
2006-05-15
5月7日現在の、越道峠
上の写真は、5月7日時点の、越道峠の様子です。
ポツンと見える黄色は、テント。(6日に朝日岳から下山して来られた登山者のモノ)
未だ、一面の雪で覆われています。
残雪は、多い所で3〜4mはありました。
もちろん、“越道峠”と書かれた石柱は見えていませんでした。
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