明日からは、八ヶ岳へ!!
2006-02-01

曇天の中でも、富山平野がはっきり見えて 06.1.30
2日から4日までの2泊3日の日程で、八ヶ岳へ行って来ます。テント泊の予定です。
晴天の予報も出ていたのに、ここに来て、「とんでもない低気圧」が発生したとか。お天気がどうなるか、少々心配です。
帰って来たら、また報告します。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/02/d20060201c.html
2006-02-01
曇天の中でも、富山平野がはっきり見えて 06.1.30
2日から4日までの2泊3日の日程で、八ヶ岳へ行って来ます。テント泊の予定です。
晴天の予報も出ていたのに、ここに来て、「とんでもない低気圧」が発生したとか。お天気がどうなるか、少々心配です。
帰って来たら、また報告します。
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2006-02-05
八ヶ岳の最高峰、主峰・赤岳(2,899.2m)山頂 06.2.4
行って来ました、八ヶ岳!
登って来ました、赤岳へ!!
2〜4日の日程で、冬の八ヶ岳の雰囲気を満喫し、また厳冬期の赤岳山頂に立つことが出来ました。
今回は、「富山県“SK”会」のメンバー5名と、山岳ガイドの多賀谷治さん、そして数年前に朝日小屋でアルバイトをしていた“哲也”、私、の計8名での山行となりました。
信頼できる“プロ”の皆さんとの雪山での3日間は、厳しい中に学ぶことが多く、またとても楽しいテント生活も送ることが出来ました。
山岳雑誌の中で憧れていた厳冬期の3,000m級の山は、私にとって決して甘くはありませんでした。
でも、私なりの『山への想い』『山に向かう気持ち』を改めて高めてくれたことには、間違いありません。
行って来て良かった、と心から思いました。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/02/d20060206a.html
2006-02-05
“文三郎道”からの一般ルートを登ったのは、5名 赤岳山頂にて 06.2.4 photo by tetu
2日(木)は、車での移動と食糧の買出しをし、その後テント場のある赤岳鉱泉へ到着したのは、殆ど日没頃でした。
平日でしたのでテント場利用者は少なく、テント設営、食事の準備と夕食を済ませて、翌日の行動に思いをめぐらせながらシュラフに潜り込みました。
3日(金)は、テント場でも朝から強い風が吹いていました。赤岳山頂付近の天候を気にしながら、8名全員でテント場を出発。
コースは、赤岳鉱泉〜行者小屋〜“文三郎道”を行き、途中から「一般ルート組」と「主稜バリエーションルート登攀組」に分かれる2班編成、というものです。
“プロ”の皆さんの足は、やはり速い!
…それでも、かなり私の遅足に合わせてくれていたようで、時々「ゆかりさん、大丈夫ですか!?」と声を掛けてくださるのですが、「はい、何とか。。。」などと言いながら付いていくのが精一杯、いよいよ急登が出てくるとやはり遅れ気味になりつつも、弱音を吐くわけにもいかず、先への不安を隠しつつ(苦笑!)頑張りました。
“文三郎道”をアプローチして、いよいよ「主稜バリエーションルート登攀組」が岩稜に取り付くという地点まで行きましたが、あまりに凄まじい強風が吹き荒れ危険な為、全員が引き返すことになりました。
屈強な男性ばかりが同行者とはいえ、歩くのは私です。
時に突風に身体がふらつき、よろけて足をすくわれていた私は、標高が上がるにつれ、正直大変だと感じていましたので、実はかなりホッとしました。
撤退を決めて、赤岳鉱泉のテント場に戻って来たのは、お昼前。予定外の行動となりましたが、急遽「富山県SK会」お得意の“インスタント焼きそば”での昼食となりました。
ちなみに、この“日○焼きそば”は、具が全く入らないのが「富山県SK会」の決まりだとか。一人2玉食べる位が普通で、この日も8人で10玉がペロリとお腹に入ってしまいました。ただし、“胸焼け”に要注意だそうですょ。
時間が空いた午後は、赤岳鉱泉名物の「アイスキャンディー(人工氷壁)」に取り付き“勉強”することに。
「ゆかりさんも、やってみたら!?」と、一応誘っては貰ったのですが、「あはははは。。。」と誤魔化しつつ、私はもっぱら“ひやかし”と“写真撮影”担当をさせてもらいました。
その夜、翌日は天候が回復すれば、再度赤岳山頂へアタックすることが確認されました。
厳冬期の八ヶ岳、気温が低いのはもちろん承知のはずでしたが、夜が更けてくるに従って気温はグングン下がり、とにかく…『寒い!!!』。
着れるだけ着て、ホッカイロも貼って、マット下も完璧に準備したはずなのですが、寒くて寒くてなかなか眠れません。
4日(土)、寒いはずです、赤岳鉱泉での気温は「マイナス22度」。テントの中での体感温度は、もっと低かったに違いありません。
それでも、青空が広がり、行く手には赤岳や阿弥陀岳の姿がくっきりと見えて、待った甲斐がありました。
「赤岳主稜登攀組」の班が、ひと足早く出発。
「私達は慌てませんから」というYさんの優しい言葉に少し安心しながら、「一般ルート組」も遅れてテント場を出発しました。
前日よりは、かなりゆっくりペース。
“プロ”のYさんによると、「富山県SK会」のメンバーでも「仕事(!?)での山」「訓練(これも仕事のうちか)の山」「遊びで行く山」などでは、歩くペースももちろん違うので、私が同行した一般ルートでは、汗を掻かないような楽しむ山の登り方をするから大丈夫ですよ、と言って下さいました。
もちろん、アイゼンとピッケルを使いました。
途中、鎖や階段や手摺りなどがある岩場があったり、岩礫と雪が混ざる急登もありました。
「これも勉強だから」と言いつつ、危険な箇所ではフィックスを張ってもらったり、アンザイレンもして頂きました。
無事に赤岳の山頂に立ったあとは、赤岳天望荘に立ち寄り軽く昼食をとって温まり、その後一気に“地蔵尾根”を下りました。
また「赤岳主稜登攀組」は、一日中陽の当たらない雪の付いた岩壁で、寒さと戦いながらも、山頂へのダイレクトルートを完登することが出来ました。
テント場を撤収し、赤岳山荘の駐車場に戻って来たのは、そろそろ陽が落ちた時間となってしまいましたが、8名の胸の中は充実感で満ちていました。
厳冬期の八ヶ岳、赤岳登頂。満足感でいっぱいです。
上の写真は、左から
「富山県SK会」の新人・M君、ガイドの多賀谷さん、私、「富山県SK会」主力のYさん
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/02/d20060206b.html
2006-02-05
厳しかった(寒かった!?)「赤岳主稜登攀組」のみなさん テント場に帰って 06.2.4
もちろんデジカメは持って行ったのですが、さすがに思うように写真が撮れませんでした。
高度と寒さの為にすぐにバッテリーが消耗するのは目に見えていましたので、いつものようにザックに付けるのはやめて、防寒具の奥深くにしまうことにしました。
分厚い手袋をはめたまま、デジカメを扱うのはかなり至難の業です。
また、危険を伴う箇所の連続となるような山行きでは、「この場面、撮りたい!」「今がチャンス!」と思っても、まさか命と引き換えにシャッターを切るようなことは出来ませんねェ。
また、今回のようなガイドさんや“プロ”の皆さんと一緒の山行となれば、私のような遅足の者は遅れまいと付いて行くのが精一杯です。
ちょっと立ち止まればすぐに間隔が開いてしまうので、思うような場所での勝手な行動は、いくら「日記用」の写真が大事とはいえ、許されません。
そんなこんなで…
せっかく、青空の合間に見え隠れした山並みや、迫力も緊迫感もある登行場面も、思うように撮ることが出来ませんでした。
その分、「言葉」で様子がお伝えできればと思います。あしからず、お許しください。
上の写真は、「赤岳主稜登攀組」の皆さん。3人とも、「富山SK会」のメンバーです。
左は3年目のT君、怪我から“復活”して頑張っていました。
真ん中は、中堅で活躍するNさん。
右は、頼もしく頼りになるHさん。
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2006-02-06
雪の中の、赤岳鉱泉 06.2.3
富山までの帰路が、大変でした。
富山と長野、近いようで結構遠いのです。
元々、高速道路を使っても時間が掛かるのですが、下山日の4日は日本海側を中心に「大荒れ」の天気となっていて、好天の八ヶ岳方面を離れ新潟県に近付くにつれ。。。
豪雪地帯の津南町や、新井、そして名立谷浜辺りでは、本当に「前が見えない!」状態の高速道路でした。
北陸自動車道の朝日インターに辿り着いた頃には、実はもう日が替わっていました。
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2006-02-06
文三郎尾根上部より、阿弥陀岳方面 06.2.4
山から下りて、やっと電波の通じる場所まで来て、携帯電話をチェックをしたら。。。
『結、インフルエンザ』のメールが入っていました。
私が留守の間、黒部市内にあるマリンバの先生の家に泊り込みでレッスンをしていたはずの彼女でしたが、4日午後から 39.8度 の高熱を出して、黒部市民病院の救急外来に掛かったという内容でした。
ありゃりゃ…
ちなみに、2月4日は、末娘・結の記念すべき17才の誕生日でした。
(お陰様で、今日現在病状は快方に向かっており、熱は殆ど無く、食欲旺盛です)
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2006-02-06
寒がる私を気遣って、新人クンが温かい“コッヘル”を持たせてくれた 06.2.3
4日に下山、その日の深夜に朝日町に戻りましたが、その足で、インフルエンザに罹ってしまった末娘・結を預かってもらっている黒部の先生の家へ。
夜中だったので私もひと晩泊めてもらい、5日朝、少し熱が下がった娘を連れて、笹川の連絡所に戻りました。
ところが、連絡所では 『えっ、水が出ない。。。!?』
そうなんです、水道が凍結してしまっていて、家中の蛇口のどこを開けても、一滴の水も出てこないのです。
た・ら・り・ら・り〜〜〜(汗のつもり)
もしかしたら先日の時と同じく、笹川地区内全部の水が止まっているのかもしれないと思い、ご近所に連絡してみると、どうやら水が出なくなっているのは我が家だけだということが判明。
何しろ初めてのことでどうしたら良いか分からず、町内会長さんや業者さんなどいろいろ連絡を入れてみましたが、結局「気温が上がって、融けるのを待つしかない」ということに。
娘と二人、5日は何とか我慢しましたが、今日はもう長引くことを覚悟しました。
食べ物や飲み水はナントカするとして、水洗トイレは「雪を融かして水を作る」ことに。
今日の午前中は、長期戦に備えて、レトルトの白飯やらカレーやら、とにかく洗い物が出ないような食糧も買いだして来ました。
見兼ねて、H美ちゃんが大型ポリタンクに入れた飲み水をいくつも用意して持たせてくれました。
…山から下りて来たのに、また山の中の生活らしきことをしている自分が何だか少し可笑しかったです。
お陰様で、「水」は今日の午後にやっと出るようになりました。
山の道具の始末や汚れ物の洗濯もそのままだったので、今日の夜までかかりました。
ここ数年、ここまで気温が急激に下がって水道が凍結するというようなことが少なかったからでしょう、私も油断していました。
まだまだ寒い日が続いています、もうしばらく気を付けなくてはいけませんネ。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/02/d20060207a.html
2006-02-07
笹川の風景 連絡所のすぐ近く 06.2.7
末娘がゴロゴロしているので、この数日ペースが全くのんびりしてしまっている私。
「お母さん、早く“税金”しないと、また大変なことになって慌てるよ!」
「分かってる!アンタに言われたくないわょ!」
当然学校もお休みしているので、朝もゆっくり。
…それでも、一日は同じように過ぎていくので、不思議。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/02/d20060208a.html