雨晴海岸
2003-03-10

当日はあいにくのお天気で、楽しみにしていた北アルプスや立山連峰の山並みは全く見えませんでした。
本当は、この雨晴海岸越しに雪を被った山々が見えるはず。
「一番先の端には、朝日岳もはっきり見えますよ」と教えて下さいました。
今度は絶対、快晴の空に聳える朝日岳を見に行きます!
写真は、女岩。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030310d.html
2003-03-10
当日はあいにくのお天気で、楽しみにしていた北アルプスや立山連峰の山並みは全く見えませんでした。
本当は、この雨晴海岸越しに雪を被った山々が見えるはず。
「一番先の端には、朝日岳もはっきり見えますよ」と教えて下さいました。
今度は絶対、快晴の空に聳える朝日岳を見に行きます!
写真は、女岩。
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2003-03-11
ウサギギク 02.8.31
今日の富山県地方は、昨晩から冬型の気圧配置に覆われ3月中旬とは思えない寒さとなって、雪が舞う日中となりました。
そんな中、15年度富山県立高校全日制の一般入試が今日から始まりました。私の友人や知り合いのお子さん達の中にも、志望校への難関に挑んでいる若者達がいます。
4人の娘を持つ私も、これまでに何度か経験してきた「受験」というプロセス。親子共々に、悩んだり、心配したり、そして喜んだり…。
親なりの思いで悶々とすることもありましたが、そんな時はなるべく楽天的に考えるようにしています。「子どもって、親以上でもなく、そして親以下でもない」…そんな風に考えたりもしながら。
親が子どもにしてやれることは限られています。その子なりの道を見つけて、後押ししてやることが出来れば良いのですが。でも、頑張れる度合いはその子その子なんですよネ。
鮮やかに咲く大輪の花もあれば、小さくても存在感のある花もあります。花びらや葉の色も濃い色もあれば淡い色もあり、形も様々ですね。里山やまして高山にあれば、開花からその可憐な姿を人の目に触れないままに終えてしまう花もあります。
それぞれの花は、それぞれに精一杯咲いています。「世界で一つだけの花」として。
頑張れ、受験生!!
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030311b.html
2003-03-12
小屋閉め直前、片付けられた厨房 02.10.16
先日来、海洋深層水入りの“手打ちうどん”が朝日小屋の新名物になるとかならないとか(笑)、いろいろと盛り上がっていましたネ。
実は…かなり昔になりますが、私も“手打ちうどん”を作ったことがあるんですヨ、朝日小屋で。
私が学生の時だから、かれこれ20ン年前になるでしょうか。8月の終わり近く、何故か父が留守でアルバイトも下山してしまった初秋の頃、私と東京から来ていた居候(?)の藤さんと二人きりだったような、それも良く覚えていないのですが…。
とにかく、無性に何か“変わったモノ”が食べたくなりました。
1985年に建った現在の小屋になる前の「先代の朝日小屋」には、今のように大型の冷凍ストッカーはなく、船舶等で使用する為に製造されたというプロパンガス仕様の冷凍冷蔵庫が1台あっただけ。
ヘリコプターでの荷揚げもシーズン中に1〜2回だけで、後は“ボッカ”が頼りでしたから食材には限りがあり、食べる物には決して贅沢は言えませんでしたし、それが当たり前と思っていました。でも、常連さんからの差し入れがある夏の盛りを過ぎて秋風が吹く頃には、お客様もいらっしゃらないし毎日毎日同じような食べ物に飽きてきたんでしょうネ。今のように、冷凍のラーメンやうどんなんて考えられませんでした。
「何か作ろうか?」と言ってはみたものの、材料は限られていて、それも使ってもOKなものは…。ありました、ありました、天ぷらの衣用の小麦粉。麺棒は、っとありました、すりこ木。
生まれて初めての“手打ちうどん”作り、ああだこうだとかなり時間がかかって、食べられたのは夕方だったのを覚えています。狭い厨房を小麦粉の粉だらけにしドッタンバッタンと一生懸命こねて、そして打ちました。
出来上がったシロモノはお世辞にも「ウマイ!」とは言えなかったようで、ボソボソしていてポロポロとした感触の“手打ちうどん”でしたが、それでもそれなりに二人とも満足したように思います。お客様にもお出ししたのかなぁ、覚えていません。
でも今シーズン、きっと朝日町観光従業員さんを中心とした『手打ちうどん・作り隊』の皆さんが奮闘して、私に美味しい“朝日小屋名物・深層水入り手打ちうどん”を食べさせてくださる事を信じています。とっても楽しみです!よろしくお願いしま〜す!!
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2003-03-12
ヘリコプターから見た、白馬連山 02.7.6
今日は朝から気になることがあり、それは一日中私の頭の中から離れない。
もっと素直になればいいのに、気持ちとは裏腹の行動しかとれない自分。
悩みながら口にした言葉は、とっても“優等生的”…
自分の思いが相手に届かず、期待していた答えが返ってこないと落ち込んでしまい、そしたらまたまた自己嫌悪…
あ〜ぁ、なにやってんだろう。。。
明日こそ素直になりたいな。。。
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2003-03-13
朝日小屋、昨シーズン最後の布団干し 02.10.13
先日高岡を訪れて皆さんとご一緒した折、いつも掲示板に書き込みをしてくださる“山の歌”さんのペンネームに話題が集中しました。「そのペンネームを使っていらっしゃるのは、どうしてですか?」
“山の歌”さん曰く、「私は山歩きを始めてまだ2年程と間がないので、皆さんがご存知の歌をそれ程たくさん知っているわけではありません。でも『山の歌』って、ホントにステキだし憧れもあります。これからそんな曲をもっと覚えたいという思いもあって、ペンネームにさせてもらったのです」
それで、「ゆかりファンクラブ・高岡支部」の最後は山の歌の合唱で大いに盛り上がったというわけなのです。その時“山の歌”さんは、「坊がつる賛歌」を熱唱されていました。
皆さん、『山の歌』というとどんな曲を思い浮かべますか??
山の歌といえば、外国民謡が原曲だったり、山里の地方に古くから伝わるものだったり、旧制高校の寮歌や大学山岳部の部歌だったりと、それぞれに年月を経て歌い継がれたものが多いように思います。
私が初めて朝日岳の山開きに参加した頃には、夜の交流会には必ず歌集が配られみんなで合唱するコーナーがあったと記憶しています。そんな時に大人の皆さんの口を真似て自然にいくつかの曲を覚えました。
「いつかある日」・「山男の歌」・「山小舎の灯」・「山の子の歌」・「雪山に消えたあいつ」…そんなポピュラーな山の歌は、どれもその頃から大好きでよく口ずさんでいます。
そういえば昨年10月末に徳本峠小屋を訪ねた時には、管理人の今川さんがたくさん山の歌の歌集を持っておられて、みんなが酔っ払って寝静まった後に(私だけに・笑)こっそり「安曇節」を歌ってくださいました。
『山の歌』の中には、山で帰らぬ人となった友を偲んだ曲などもあり、山の厳しさや険しさを強く感じさせるものがあります。また山や自然の素晴らしさや魅力、山仲間との楽しい山行の様子などを軽やかに歌っている曲も多くあります。どの曲もそれぞれに味がありますね。
皆さんはどんな『山の歌』がお好きですか?
山仲間と口ずさむのはどの曲ですか?
また教えて下さいネ!!
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030313a.html
2003-03-13
晩秋の雰囲気を漂わせる、夕日ヶ原 02.10.5
『山の歌』といえば…
実は朝日岳にも、今から20年以上も前に作られた“名曲”があります。ご存知ですか?
(以下、資料は「保勝会50年のあゆみ」「70年のあゆみ」による)
“朝日岳の歌”は、昭和51年に朝日町の歌人で版画家の間部善治(まなべぜんじ)氏が作詞された「夕日ヶ原慕情」と「大蓮華讃歌」の2編です。
「夕日ヶ原慕情」は、なだらかな斜面に咲く美しい高山植物と、黒部の山々を背景にしながら日本海に傾いていく夕日の素晴らしさを歌っています。また「大蓮華讃歌」は、登山口の小川温泉元湯から恵振山・夕日ヶ原を経て朝日岳への登山コースを順々に歌い上げてあります。
その歌詞にPRも兼ねて広く全国から曲を募集し、草加市の土田明人氏がメロディーを付けて出来上がったのが、互いに曲調の違う2曲の“朝日岳の歌”です。
その2曲のうち、テンポが速く明るく軽快な曲調の「大蓮華讃歌」が全国に紹介されました。“越道過ぎれば湯ノ瀬もはるか、小川元湯はもう見えぬ”で始まるこの曲は、昭和54年夏の1ヶ月間、NHKテレビの「みんなの歌」で、ナント演歌歌手・細川たかしが歌ってお茶の間に流れました。
当時学生だった私は、毎日お客さんに食堂で、“ムリヤリ”“歌唱指導”と称して「大蓮華賛歌」を歌わせていました(笑)。
それから、しっとり静かな曲調で歌われる「夕日ヶ原慕情」ですが、「大蓮華賛歌」の“陰に隠れて”当時はあまり歌われる機会がありませんでした。しかし今では、朝日小屋のアルバイトのみんなの“テーマソング”として、特にアルバイトを終えてみんなが下山する時のバックミュージックとして流されます。小屋での想い出を胸に小屋をあとにする後ろ姿に、この曲が流されると、みんなこみ上げるものがあるようです。
この「夕日ヶ原慕情」は、亡父の葬送の場面でも流させてもらった大好きな曲で、私にも忘れられない歌となっています。
先日の高岡では、“山の歌”さんに「夕日ヶ原慕情を歌ってください!」と言われたのに、お酒のせいかド忘れしてしまって、ゴメンなさい。この夏にはちゃんとお聞かせしますから、お楽しみに!!
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030313b.html
2003-03-14
高岡古城公園の梅もほころんで 03.3.14
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030314a.html
2003-03-14
高岡の街並み 03.3.8
今日は「ホワイトデー」ですね。
富山県地方は朝からポカポカとした、3月半ばの春らしい陽気になりました。
皆さん、ステキな一日になりましたか?
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2003/03/d20030314b.html