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今夜は三女のところ、そして明日から一泊で…
2006-04-21
ミズバショウ、旧笹川小学校の横に咲いていた photo by yui
今日は午後から、遭対協の理事会。
(昨日も、観光協会の理事会出席。それなり忙しい)
それが終わったら、南箕輪村の三女のところへ出掛けて、今夜は泊まります。
明日から一泊二日の日程で、「講習会」に参加して来ます。場所は、山梨県のとある山域。
『真剣勝負』が出来るように、いろいろ勉強です。
多分、この一年でかなり体重もオーバーし、動きも鈍くなっているし、頭も思った以上に“老化現象”が来ているようなので…、教わる内容が飲み込めるか心配ですし、不安だらけですが、勉強してこようと思います。
山梨県は遠いなぁ、交通手段に困ってしまいます。
でも、登山者の皆さんは北アルプスに入る時には、同じ思いでいろんな都合を付けて登山計画を立てられているんだと思うと、私もやらなくては。
日曜日に下山して、そのままもう一度三女のところに泊まり、帰って来るのは月曜日の午後になります。
落ちないように…、頑張って来ます!!
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/04/d20060421a.html
入院から、一年
2006-04-21
暖かい日、笹川ではもうおたまじゃくしが見られました 06.4.15 photo by yui
昨年の4月20日深夜に緊急入院してから、一年が経ちました。
去年の今頃は、ベットの上だったんですね。
たくさんの点滴に繋がれていました。
もしかしてもう少し病院へ行くのが遅かったら、今頃山には登れていなかったかもしれないし、それどころか…。
いろんなことを思う、この春です。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/04/d20060421b.html
とりあえず、無事帰って来ました!!
2006-04-24
夕暮れの富士山 山梨県、三ツ峠山・屏風岩付近から 06.4.22
週末に山梨県で行われた講習会に参加して、今日の夕方帰宅しました。
“初心者”らしく、余程「手の力」で登ったのか、腕がパンパンです。
足はそれ程ではありませんが、全く痛くはないものの、でも膝には無数の“アザ”が…。
今までしたことのないようなコトもして、私なりにいろいろ勉強になりました。
この経験を、今後に大いに生かしていきたいと思っています。
とり急ぎ、無事帰宅の報告まで。
ふう〜ぅ、面白かったけど(!)、実はタイヘンでした(?)。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/04/d20060425a.html
『登攀証明書』
2006-04-26
自分が登ったルート辺りを背に 三つ峠・屏風岩にて 06.4.23
2006年4月24日
『登攀証明書』
山岳ガイド 「風の谷」
以下の者は、2006年4月22日〜23日、富士山を背後にした三つ峠において、岩登り講習に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明いたします。
氏名 清水 ゆかり
岩登り講習は何の為に行うか?もちろん、登山の中でも最もエキサイティングな行為である岩壁登攀を行うためです。けれども、岩登りの全ての技術は、凸凹のある一般登山道を安全に歩くためにも、沢登りのためにも、積雪期の登山のためにも、ぜひとも覚えていただきたい技術です。しかし、今回の講習の参加者の大部分が「岩登り初体験」でした。その方たちに最も、身につけて欲しかったことは、岩登りのザイルワークの基本的なシステムです。パーティーがザイルで結び合った後、ビレーヤーはまずはメインザイルでセルフビレーを取り確保の体勢に入り、トップがそのピッチを登り切って、トップ自身のセルフビレーを取った後に「ビレー解除」のコールで初めて確保を解きます。また、余ったザイルを巻き上げて「ザイル一杯」のコールを受けて、トップはセカンドへの確保の体勢を確保して、初めて「登って来い」のコールをかけます。そのコールで初めてセルフビレーを解除して登り始める…。つまり、自分をセルフビレーしているか、パートナーに確保されているか、いずれかの状態で必ず安全が確保されている状態が続かなくてはならない…。これが、最も基本的なシステムです。実際の登ることの技術は、数多くの経験を積むことによって習得できますが、ザイルの結束と、このシステムの習得は、ぜひとも今回の講習で間違いのない状態にしていただきたい技術です。
日曜日は間違いなく雨!、との情報の下で、土曜日はテントを張ると、飯も食わずに岩場へ、そして日没まで練習。二日目も雨が降る前まで…、とのことで早朝から練習。結局、決定的な雨は降らないままに、忙しい講習となってしまいました。手がパンパンに張り、小さな傷を手足に一杯作って、なかなか充実の二日間であったと思います。この講習を基礎に、もっと刺激的で冒険的な登山を開始する貴重な一歩となれば幸いです。
私が週末に参加した岩登り講習会の講師である、山岳ガイド「風の谷」を主宰する山田哲哉さんから送られて来た『登攀証明書』を転記しました。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/04/d20060427a.html
生まれ変わって…
2006-04-26
「風の谷」の講習では、テント泊が原則 山梨県・三つ峠にて 06.4.22
緊急入院、そして手術から、今日でちょうど一年が経ちました。
今こうして居られることに、本当に感謝。
お陰様で、手術の痕は未だ大きく残っていますが、体調はますます「快調」「絶好調」です。
思えば、風邪ひとつ引かないのが自慢だった私が、40代には前半に股関節、後半には婦人科と、大きな手術を二度も経験したことになります。
…今、とても充実した毎日を送っていると実感しています。
今日は、術後一年間“頑張った”自分自身へのご褒美の一日でした。
ステキな時間を作りました。
リフォームした部屋を飾るため、気に入った花台を買い求めました。
これからも、また私らしく頑張っていきたいと思います。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/04/d20060427b.html
日帰りで、東京へ!
2006-05-04
リハーサル中の末娘・結 東京オペラシティリサイタルホールにて 06.4.29
会議が立て続けにあった先週(先月末)、そして週末4月29日は日帰りで東京へ。末娘が音楽コンクールに出場するためでした。
朝一で出発して東京駅に降り立ち、中央線で新宿へ。新宿から京王新線に乗り換えて、初台駅へ。
前日から上京していた娘が、途中心配して何度も連絡を入れて来ました。
私は前日が遭対協の総会で、飲み会が終わって帰宅したのが午前1時過ぎ。とにかく寝なくては、と床に就いて2時間後には起き出してシャワーを浴び、朝一番の電車に飛び乗りました。
寝過ごして電車に乗れなかったのでははないかと心配する、末娘。
そして、ちゃんと新宿駅に向かったのか、京王新線の乗り場が判ったのか…等など。東京へは滅多に行かない私が、余程「オノボリサン」と思ったのかしらん。
でも、ちゃ〜んと目的地に着きましたょ。
大丈夫。地図も持っているし、案内板を見ながら歩けるんだから!!
東京オペラシティーホールは、とても大きな建物でした。
その中の小ホールで、今回のコンクールの本選が実施されたのですが、実は娘は、出場33名中“トップバッター”だったのです。
また、大人の方たちに混ざって、高校生は3名程だったでしょうか。
…母の“ドキドキ”は、それはそれは、今まで経験したことのないくらいでした。
今は結果待ちの状態ですが(当日発表ではなかった)、まぁ、無事に終わってヨカッタです。
53階のレストランで遅い昼食を済ませて、有楽町から銀座へ。お目当ては、大きな楽器店。私はお付き合いだけして来ました。
最終の新幹線に乗って、その日の深夜に帰宅しました。
人混みは、タイヘンです。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、まるで「一年分の」数の“人間”を見たような一日でした(苦笑)。
山を歩いたのと同じくらい、疲れましたネ。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/05/d20060504a.html
明日からは、北又へ!!
2006-05-04
銀座を歩いたのに、そこは「富山」だった! 06.4.29
明日から、2泊の予定で北又へ行って来ます。
もちろん、未だ林道は雪の下で開通していませんので、ずっと歩きです。
好天に恵まれそうな、ゴールデンウイーク後半。
昨年の今頃は、退院して家で養生していました。
今年は、せっかくなので立山辺りへ出掛けたかったのですが、2日夜にも会合があったりして、どうにも予定が組めませんでした。
明日からは、北又へ様子見を兼ねて行って来ます。
林道は未だかなり危険な状態になっているでしょうから、多分谷筋の安全な所を見極めながら歩くことになると思います。
地元・山崎地区の方の案内で行きますので、大丈夫でしょう。
北アルプスは何処も、近年にないくらい残雪が多いという情報が入って来ています。
北又方面がどのような状況になっているか、現段階の様子を見て来ます。
またしばらく「日記」が途切れてしまいますが、『仕事』に行って来ますので、ご容赦くださいませ。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/05/d20060504b.html
「ご苦労様でした!」「有難うございました!」の 慰労会
2006-05-15
みんなで、記念撮影!! 06.5.13
5月13日朝日町にて、朝日小屋主催のある会が開かれ、大勢の皆さんが参加して大いに賑わいました。
朝日岳方面遭対協で、永年に亘り活躍された、前隊長の谷口邦夫さんと前隊員の谷 靖夫さん。
そして、富山県警山岳警備隊分隊長として任に当たられこの春に警備隊を退かれた、平野正樹さん。
前隊長の谷口さんは、救助隊の隊員歴40年以上、隊長になられてからでも20年以上で、朝日岳周辺でのいくつもの困難な遭難現場で陣頭指揮を執ってこられました。
また前隊員の谷さんも、30年近くに亘って救助隊員を務められました。その小柄な身体ながら、豊富な山歴で、いつも現場の最前線で活躍されてきました。
そして、今春県警山岳警備隊を退かれた平野さん。いくつもの遭難現場で山岳警備隊員としての力を大いに発揮して来られました。未だ若く、分隊長としてもこれからの活躍が期待されていたところでしたが、残念ながら隊を退かれたわけです。
この3名の方々を慰労する会を、朝日小屋関係者でぜひ催したいという声が上がり、急な呼びかけにも関わらず県内外から(それ以外にも!?)、37名もの皆さんが駆け付けて下さいました。
当日は、いつも朝日小屋を応援して下さっている皆さんの顔合わせの感もあり、今シーズンの小屋開けを前に、それはそれは賑やかな集まりとなりました。
夜が更けるのも知らずか忘れてか、二次会場の笹川連絡所では、気が付いたら完全に翌日となっていました。
また、狭い連絡所にシュラフを持ち込んだ面々他、ゴロゴロと20名近くが“お泊まり”という事態に…。余程、帰りたくないほど楽しかったということでしょうか!?
谷口前隊長と谷前隊員におかれましては、引き続き、朝日岳方面遭対協の救助隊相談役として、今後ともいろいろとご指導戴きたいと思います。
また平野さんにおかれましては、山岳警備隊は辞められましたが、今後も引き続き富山県警の警察官として別の重要な任に当たられます。
3名の皆様には、今後とも健康に留意され、また足繁く朝日岳にもおいで戴きたいと思っております。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2006/05/d20060515a.html