こんな現象も…
2002-09-02

朝日岳の影が富山湾に映って photo by kouta
去年のHPにも載せていましたが、朝日岳の影が富山湾全体に投影されています。一種の「ブロッケン現象」でしょうか。
今日は、快晴。下界では36℃を越えて大変な残暑だったようですね。
富山湾と海岸線がはっきり見えているのが、分かりますか!?
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020902b.html
2002-09-02
朝日岳の影が富山湾に映って photo by kouta
去年のHPにも載せていましたが、朝日岳の影が富山湾全体に投影されています。一種の「ブロッケン現象」でしょうか。
今日は、快晴。下界では36℃を越えて大変な残暑だったようですね。
富山湾と海岸線がはっきり見えているのが、分かりますか!?
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020902b.html
2002-09-04
山頂にて、元気な私 02.8.31 photo by 自動シャッター
昨日は、日記を書きませんでした。というより、書けませんでした。楽しみにしてくださる皆さんのことを思いつつ、サボってしまいました。
実は。。。昨日は一日、心と身体が「ストライキ」。。。!?
「夏の疲れか、初秋のセンチメンタルか…」とある人にはメールをしつつ、何だか張りつめていた糸がプツンと切れてしまったようで、朝4時の目覚ましがなっても全然起き上がれない…。
孝太が心配して「ゆかりさん、熱は??。。。寝ていてもいいですよ、大丈夫ですよ」と、小屋の仕事を全部一人で片付けてくれました。
とにかく一日中、朝ごはんも昼ごはんも食べずに、ただただ布団の中で。。。不思議なことに寝ても寝てもまだ眠ることが出来ました、夢も見ずに。
そんな昨日が過ぎて、今日は何とか起き出さなくてはと思いつつ、やっぱり朝は起き出せない。8時を過ぎてやっとごはんを少し口にしました。布団の中で悶々としつつ、時間だけが過ぎていきました。富山森林管理署から依頼されていた原稿の締め切りも過ぎてしまい、気にはなっているのだけど一行も書けないまま。。。
電話が掛かってきました。
「おーい、阿曾原温泉小屋の佐々木だけど…。どうしたんや?、声が違うから別人かと思うたわい!」
佐々木 泉さんの声を聞いたら、ホッとしたのか、涙がポロッ。。。
何がどうしたとは話もしませんでしたが、「俺も、1年目や2年目はそんな感じやったわ。静かになって、夏の疲れも出たんやろ…自分の信じるようにやったらええんや。あとひと月半、頑張らんにゃ!!」と励まされました。
そして、知り合いのMさんに用事があって電話をしたら「無理に頑張らなくてもいいですよ。孝太君には悪いけど、サボりたい時にはそうしたらいいんじゃないですか」と言われました。その後最近連絡していなかった友人の朋子さんにも近況伺いの電話を入れ、立山室堂山荘の妹に日曜日に立ち寄る旨の連絡をした頃には、やっといつもの調子を取り戻しつつありました。
孝太には心配やら迷惑も掛けました。
そして、せっかく私との再会を楽しみに昨日北又から登って来てくださった川越の小川さんご夫妻にも、全然ご挨拶もせずじまいで失礼してしまいました。ゴメンなさい。
でも「心と身体のストライキ」が丸一日で収まってよかった。。。長く続いたらどうしようと思っていましたから、ホッとしています。静かな秋の朝日小屋、管理人はやっぱり“いつもの調子”でいなくては。。。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020904a.html
2002-09-05
オニシオガマ 八兵衛平付近の木道脇で 02.8.28
今日のご予約はゼロだったのですが、やっぱりお泊りもゼロ。早々と夕方5時ごろには孝太と2人、淋しく夕食を済ませました。
ところが、夜6時を過ぎてもテントの大学生のパーティーが到着せず、いろいろ心配してもう少しで孝太の“出動”も検討し始めていたところ、白馬岳のテント場から12時間半もかかって無事に朝日平に到着するという、ちょっとした“騒ぎ”も。。。
明日から明後日にかけて、お天気が今ひとつのようですね。実は、明日もご予約がないので、もしかしたらこんなものかしら?…
昨日の日記で「ストライキ」の事を書いたら、何人かの方から心配してお電話やメールを頂きました。お騒がせして、本当にすみませんでした。いつまでもサボってはいられませんものね、今日はいつも通りの「元気印」に戻りました。
明日は、いよいよ下山。約2ヶ月ぶりの下界ですが、下界に下りたらまたまた「浦島太郎」状態なので(笑)、ちょっぴり不安も…。下はやっぱり暑いかしら、それも心配だなぁ。。。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020905a.html
2002-09-06
ミネウスユキソウ 吹上げのコル付近 02.8.28
今から下山します。気分は(!?)。。。
2ヶ月ぶりの下山は、嬉しいような面倒くさいような(笑)。。。
7日は、天候に関らず予定通り称名滝〜大日岳で大日小屋泊まり。8日は雷鳥平へ下山し、立山室堂山荘の妹のところへ立ち寄り、お風呂に入ってきます。ゆっくりノンビリの旅になりそう…。
9日は、蓮華温泉泊まり。10日は雪倉避難小屋で、富山県から管理を委託されている責任者として状況を見てきます。。11日には、小屋へ戻って来る予定です。これも鉱山道をしっかり歩いてきますが、余り慌てずに初秋の山を感じてくるつもりにしています。
日記は暫くお休みしますが、また掲示板への書込みなどで多いに賑わっていただければ幸いです。
では、行ってきます!!
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020906a.html
2002-09-13
大日岳・大日小屋前からのご来光 02.9.8
先週の金曜日に下山してから週末に大日岳へ登り、今週には鉱山道を通って雪倉避難小屋で管理責任者としての責任を果たし、やっと11日(水)に自分の小屋へ戻って来ました!!
本当なら帰って来てすぐに日記で報告するべきでしたが、11日も「どうせヒマなはずだから…」とゆっくりペースで夕方5時近くに小屋に戻ると、哲也が1人でドタバタしていましたので(孝太は、只今休暇中)大慌てで夕食準備の手伝いにとりかかり、また12日も自分の小屋に帰り着いて何だかホッとしてしまった為と、何しろ哲也と2人でそこそこ忙しかったので、日記を書きそびれてしまいました。
「ちゃんと帰って来たのですか?」「無事に戻った報告が無いので、心配しています」。。。などなど、いろいろお電話やメールを頂きました。ご心配をお掛けしてすみませんでした。
そして、とうとう今日の夕方には。。。
一度もお会いしたことのない、東京のYさんという方からお電話を頂きました。
いつもHPの日記を楽しみにしてくださっているとか。随分以前に朝日岳にもおいでになったことはあるそうなのですが、私がいろいろウロウロと他の山を登りに行ったのに帰着の報告が遅れていたので、もしかしたら事故にでも遭ったのではないかと思って心配してわざわざ連絡をくださったとのこと。本当にお騒がせしました。
実は、今回もいろいろ盛りだくさんの報告があるので、どれをどう書こうかと思い迷っているのも事実です。
今日は、とりあえず『無事無事、ちゃんと戻りました!』ということで。。。
明日以降、楽しかった大日岳への山行、そして相変わらずの「珍道中」となった鉱山道の記、などなど書いていこうと思いますので、お楽しみに…。では。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020913a.html
2002-09-14
落ち着いた雰囲気の大日小屋、ランプの下がる食堂
6日(金)は、午後から1人で北又へ下山。以降の予定もあって、大きなザックにシュラフやマット他も背負ったので、下山荷物としてはいつになく重く14kもあって。。。途中、恵振山からすでに雨に降られたのですが、雨具を着けるのも面倒で“水も滴るイイ女”(?)のまま北又へ。家に辿り着いたのは、夕方5時も過ぎていました。
翌7日(土)は少々お天気が気掛かりでしたが、“晴れ男と晴れ女”の集まりということで、天候も気にせず出発。メンバーは、主治医のY先生、山仲間であり飲み仲間(?)のAさん、“週末従業員”の美枝さん、唯一の若者はオンエアーとやま(チューリップテレビの取材でお世話になった)のオジマッチ、そして私の5人でした。
今回の山行に大日岳・大日小屋を選んだのは、Y先生が初めて登った山が大日岳で、それからは時々「日帰り山行」で大日岳へ行っているから、ゆかりさんでも大丈夫と言われたから(これは大きな間違いで、もっと楽かと思っていた私は後から自分の体力の無さを思い知ることに…)、そして他のメンバーも初めてということで、計画しました。
また8月には大日小屋のオーナー・杉田健司さんから、写真家・高橋敬市さんの新しい写真集『大日燦燦』をわざわざ朝日小屋宛に送って頂いたこともあり、ぜひランプの宿・大日小屋に泊まってみたくなりました。
しかし前日の疲れと当日の早起き(午前3時半起き)の為か、登り初めからみんなの速いペースに1人付いていけずどうしても遅れ気味。途中、「先生のウソツキ。。。」などと(笑)、苦しい自分の姿を他人のせいにしつつ、それでもどうにかみんなにごまかされながら(?)励まされながら、最後は雨と雷の中をようやく大日小屋に辿り着きました。
大日小屋の収容人員は40名。朝日小屋もそれほど大きくない山小屋ですが、大日小屋の部屋数は2、水は天水を利用しているとか。当日はオーナーの杉田健司さんと、お父様の浩己さん、お母様の光子さんの3人で小屋を切り盛りしていらっしゃいました。
健司さんは、大日小屋をずっと守ってこられた杉田三江子さんのお孫さんで、富山市内でギターを製作するお仕事を持ちながらも、立派に小屋を引き継いでいらっしゃる若いオーナーです。
お夕食を戴いた後には、ランプの燈る食堂で浩己さんや光子さんも交えてワインやお酒を飲みながらいろいろ聞かせて頂きました。大日岳や小屋のお話は、他の山と山小屋のことを余り知らない私には珍しい話や苦労話として大変参考になり、夜遅くまで話は尽きませんでした。
お食事も心がこもっていてとても美味しく、辿り着いた小屋が落ち着いて静かで、本当に“泊まってよかった”と思える山小屋でした。また、アルペンルートのすぐ横にありながらもその喧騒と離れて静寂が似合うその山は、苦労して登った為か、忘れられない山となりそうです。
翌日は、心配した雨にも降られることなく、オーナーの健司さん、そして偶然同宿した朝日小屋常連の“亀チャン”達に「朝日小屋名物・バンザイ!」に見送られながら、室堂山荘の改築なった“自慢のお風呂”目指して、足取りも軽く快調なペースで歩くことが出来ました。何しろいつも「下りになると、人が変わる」と言われているくらい、登りは全然ダメだけど下りになるとピッチが上る私なので(笑)、どうにか他のメンバーに着いて行くことも出来ました。
しかし雷鳥平のキャンプ場での昼食では、ホンのひと口飲んだビールと缶チューハイに、心臓が“バクバク”動悸を打ち始めて(笑)、室堂までの大変だったこと。やっと辿り着いた室堂山荘でゆっくり汗を流し妹としばらく話をした後、八郎坂を下りるというY先生、美枝さん、オジマッチの3人と別れてバスとケーブルに揺られて立山駅まで帰り着きました。
立山は妹がいるので時々訪れることもありますが、大日岳も今まではそれ程自分には関係の無い山だと思い込んでいましたが、これからはぜひチャンスを見つけてまた行ってみたいと思いました。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020914a.html
2002-09-14
右端が、オーナーの杉田健司さんです。
小屋の食堂には、ランプの下、大日岳の写真などと一緒に、健司さん製作のギターも飾ってありました。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020914b.html
2002-09-15
鉱山道にも秋の気配 … ナナカマドの実が真っ赤に色付いて
9日(月)の午後から蓮華温泉へ。目的は、朝日岳へ繋がる道を歩くこと。今回は昨年果たせなかった「蓮華鉱山道」を歩いて登山道の様子を確認し、また県から管理を任されている雪倉避難小屋の状況をきちんと把握してくることにありました。
行き交う登山者のほとんどいない道を1人で登るのは、さすがに少々考えものと思い、誰か平日にこの計画に同行してくださる方を探していましたら、ちょうど日程の合う方がいらっしゃいましたのでお願いしたところ、何とか引き受けていただきました。もちろん、私の「超・遅足」を承知の上で。。。
写真家の森下 恭さん。。。シブシブだったのかもしれませんが(笑)、「ガイド」と「荷物持ち」と「熊よけ」を兼ねて(笑)ということで、朝日小屋管理人の願いを叶えてくださいました。
9日は前日までの大日岳山行の疲れを癒すべく、蓮華温泉でゆっくりお風呂に浸かりました。
10日は朝食をとらずに早めに出発する旨を伝えると、蓮華温泉の田原さんに「どこまで?…えっ?雪倉の避難小屋??3時間で着いちゃうよ。ゆっくりご飯を食べてから出かければ良いのに…」と散々誘われましたが、やはり何より自分の足が心配だったので、早朝4時半起床、6時過ぎに出発にしました。
(この蓮華温泉から避難小屋まで“3時間で”というのは、あくまで“田原さんのペースで”ということが、後からよ〜く分かりました!)
最初から、私の大好きな道…鬱蒼とした樹林帯の中の、余り景色の見えないかなり薄暗い道ではありますが、むせ返るような木々の匂いがたまらなく好きで、その中を歩くことの幸せをつくづく感じました。そして、「登りの苦手な」私としては、余り急斜面ではなくだらだらとした緩やかな登りの連続がまたゆっくりした歩みを助けてくれました。
この8月になってから、瀬戸川には橋も架かったということも聞いていましたので、それも自分の目で確認することが出来ました。
登山道は、木道がかなり滑りやすくなっていますが、全体に蓮華温泉の方々の手できちんと整備され、また草刈りも終っていました。
しかし、この道を歩く登山者の絶対数が少ないのは、やはりコース全体が長いためかと思われます。「もうすぐそこに、鉢ヶ岳の分岐点があるはず」…そう思ってからが、かなり長かったです。。。(いろいろ事情があって(?)、荷物がかなり重たかったせいもありますが)
『蓮華鉱山道』は、いわゆる一般ルートではあるかもしれませんが、しかし誰でも行けるコースだとは思えないように考えます。
「健脚向き」だと思いますし、特に、雪融け直後にはルートの不鮮明な箇所もあります。また利用する場合には瀬戸川の橋の状況を必ず確認しなければいけません。徒渉ということになれば、歩ける登山者はもっと限られてくるはずです。
そして何よりも、『自然』を大切に思ってくださる方々にだけ、そっと歩いていただきたい…そんな道でした。
この記事の URL : http://www.asahigoya.net/diary/2002/09/d20020915a.html