北アルプス 朝日小屋

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亡き・郷 康彦さんの想い出

2002-12-11

暖炉の温かさ    ゆいペンションにて   02.12.3

 暖炉の温かさ    ゆいペンションにて   02.12.3

 私の手元には、『山の彼方に  郷 康彦警部補 追悼・遺稿集』があります。
 番組の中に何度も登場された、故・郷 康彦さん。
 今も県警山岳警備隊の現役として指揮を執っていらっしゃる椙田 正さんや、第一線を退いてからも後輩を思いやる城宝勝明さんと一緒に、昭和44年の剱岳大量遭難の現場に駆けつけた中に郷さんの姿を見て、私は涙が止まりませんでした。
 郷さんは、昭和40年の富山県警山岳警備隊発足当時からその隊員となり、剱岳一帯を中心に数々の山岳遭難の現場でその力を発揮された後、48年3月に入善署勤務となり54年3月に富山北署勤務となるまでの6年間、朝日岳方面の山岳警備の任に当たられました。
 昭和48年にはちょうど私の亡父が朝日小屋の管理人を任された直後だったこともあり、郷さんには大変お世話になった事を覚えています。また当時は、朝日岳でも死亡を含めた重大事故が発生した事もあり、郷さんがその力を大いに注いで下さったものでした。
 あの頃私は高校1年生の15歳、郷さんは28歳。
 私は、一体郷さんがどんな立派な山岳警備隊の仕事をしていらっしゃった方かを知る由もなく、「パトロールに登って来たお巡りさん」「コロコロっとした笑顔のお巡りさん」という印象でした。
 「おう、ゆかり。俺、郷。GO!GO!」と私たちに冗談を言っては、いつも柔らかな笑顔でした。
 また、今は立山室堂山荘へ嫁いでいる私の妹に「おう、法チャン。俺んとこへ嫁さんに来んか!?いいぞ。俺、法チャン好きながよ」と、その頃まだ中学生か高校生だった妹をからかっていた郷さん。追悼集「山の彼方に」には、いくら見合いをしても「ウン」と言わなかった郷さんの事を何人かの友人が書いていらっしゃいますが、法子へのひと言は子どもだった私たちをからかっての事だったのか、それとも本気もちょっぴり入っていたのか、今となっては分かりません。
 その郷さんが、一度ふっと厳しい顔をされたのを今でも良く覚えています。
 確か、昭和50年の雪倉岳の遭難の時。残念ながらその時は2名の登山者の方が亡くなってしまわれたのですが、その捜索の時だったでしょうか、まだ梅雨が明けず寒い雨が降っていました。
 捜索隊の皆さんに暖を取ってもらうためにストーブを用意したり、あたふたしている私に『ゆかり、な〜ん、ストーブなんかいらんちゃ。山行くモンやったら、これ位の寒さ我慢せんにゃ。少し濡れとっても自分の体温で乾かすもんよ!』
 忙しそうに走り回る私たち小屋の者を思いやり、気遣って下さった言葉だったと思いますが、その郷さんの横顔に、山の自然の厳しさを垣間見せられ知らされたような気がします。
 昭和60年5月27日、上市町伊折地内で山菜取り最中に死亡した老人の捜索救助活動に際し、その遺体を搬送途中、突然崩壊した約1トンもの雪塊の下敷きとなり殉職された郷さん。その日の驚きと哀しみは、今でも忘れられません。
 郷さんが生きていらっしゃったら、私が父の後を継いで朝日小屋の管理人をやっていると知って、きっと心配してそして励ましに、北又からお土産を担いで登って来てくださったことでしょう。大好きだったホルモンをつつきながらお酒も一緒に飲みたかったし、山のことなどいろいろ教えてもらいたかったと残念でなりません。
 あらためて、郷さんのご冥福をお祈りいたします。