北アルプス 朝日小屋

朝日小屋 TEL 080-2962-4639(衛星電話)
北又小屋 TEL 0765-84-8809
開設期間外 朝日小屋連絡所
 〒939-0711 富山県下新川郡朝日町笹川 清水ゆかり
 TEL & FAX 0765-83-2318

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“朝日岳の歌”、2曲

2003-03-13

晩秋の雰囲気を漂わせる、夕日ヶ原    02.10.5

 晩秋の雰囲気を漂わせる、夕日ヶ原    02.10.5

 『山の歌』といえば…
 実は朝日岳にも、今から20年以上も前に作られた“名曲”があります。ご存知ですか?

(以下、資料は「保勝会50年のあゆみ」「70年のあゆみ」による) 
 
 “朝日岳の歌”は、昭和51年に朝日町の歌人で版画家の間部善治(まなべぜんじ)氏が作詞された「夕日ヶ原慕情」と「大蓮華讃歌」の2編です。
 「夕日ヶ原慕情」は、なだらかな斜面に咲く美しい高山植物と、黒部の山々を背景にしながら日本海に傾いていく夕日の素晴らしさを歌っています。また「大蓮華讃歌」は、登山口の小川温泉元湯から恵振山・夕日ヶ原を経て朝日岳への登山コースを順々に歌い上げてあります。
 その歌詞にPRも兼ねて広く全国から曲を募集し、草加市の土田明人氏がメロディーを付けて出来上がったのが、互いに曲調の違う2曲の“朝日岳の歌”です。
 その2曲のうち、テンポが速く明るく軽快な曲調の「大蓮華讃歌」が全国に紹介されました。“越道過ぎれば湯ノ瀬もはるか、小川元湯はもう見えぬ”で始まるこの曲は、昭和54年夏の1ヶ月間、NHKテレビの「みんなの歌」で、ナント演歌歌手・細川たかしが歌ってお茶の間に流れました。
 当時学生だった私は、毎日お客さんに食堂で、“ムリヤリ”“歌唱指導”と称して「大蓮華賛歌」を歌わせていました(笑)。
 それから、しっとり静かな曲調で歌われる「夕日ヶ原慕情」ですが、「大蓮華賛歌」の“陰に隠れて”当時はあまり歌われる機会がありませんでした。しかし今では、朝日小屋のアルバイトのみんなの“テーマソング”として、特にアルバイトを終えてみんなが下山する時のバックミュージックとして流されます。小屋での想い出を胸に小屋をあとにする後ろ姿に、この曲が流されると、みんなこみ上げるものがあるようです。
 この「夕日ヶ原慕情」は、亡父の葬送の場面でも流させてもらった大好きな曲で、私にも忘れられない歌となっています。
 
 先日の高岡では、“山の歌”さんに「夕日ヶ原慕情を歌ってください!」と言われたのに、お酒のせいかド忘れしてしまって、ゴメンなさい。この夏にはちゃんとお聞かせしますから、お楽しみに!!

今日は「ホワイトデー」

2003-03-14

高岡の街並み    03.3.8

 高岡の街並み    03.3.8

 今日は「ホワイトデー」ですね。
 富山県地方は朝からポカポカとした、3月半ばの春らしい陽気になりました。
 皆さん、ステキな一日になりましたか?

忙しかった週末

2003-03-17

「立山室堂山荘連絡所」の看板…横の白いのは、雪   03.3.16

 「立山室堂山荘連絡所」の看板…横の白いのは、雪   03.3.16

 14日(金)の夜行列車に乗り、上野駅には翌15日(土)朝6時着。神奈川県藤沢市へ娘と一緒にアパートを探しに行ったのですが、お陰さまで学校にも近く思っていたより良さそうな物件も見つかりました。そして帰りは午後3時過ぎの上越新幹線に飛び乗りましたが、自由席は満席で越後湯沢駅までは立ったまま。特急と普通電車を乗り継いで、家に辿り着いたのは夜の7時半頃でした。
 そして16日(日)は、立山芦峅寺へ嫁いでいる妹の家へ。立山室堂山荘の先代、故佐伯  昇さんの七回忌がありましたので、実家の母と一緒に朝から出掛けました。
 ごく身内のみで行われた法事でしたが、苦労して立山室堂で山小屋の営業を始めた先々代の三九郎さん、そしてそれを受け継ぎ発展させ三代目の千尋さんへと繋がれた二代目の昇さん、それぞれの遺徳を偲んでの法要そして宴席へと続きました。
 妹が嫁いだのは昭和60年12月で、その年の10月末か11月には、私も実家の父と一緒にまだ新築なる前の古い営業小屋(現在は、国の重要文化財・室堂小屋)を、ご挨拶がてら訪ねた事があります。少し傾きかけたまま黒光りした太い柱や梁がとても印象的でした。その後、亡くなった昇さんには何度もお会いしましたが、私の事をいつも「姉さん姉さん」と可愛がってくださいました。
 芦峅寺では3月に入ってからも何度か降雪があり、一度に70〜80センチも積もった日があったとか。同じ立山町でも、五百石や岩峅寺では周りの田圃の雪も殆ど見られませんでしたが、千垣の集落から上、芦峅寺に入ったとたんに家の周囲や屋根にも、周りの田圃にも積み上げられた雪の塊がまだまだドカンと居座っていました。
 それでも、春は確実にやって来ます。アルペンルートの開通まで1ヶ月、あっという間ですネ…。

立山の雪情報

2003-03-17

「天狗平山荘連絡所」の看板  

 「天狗平山荘連絡所」の看板  

    賢輔さんを自宅までお送りして、その時写して来ました。

 昨年12月に“天狗の親父さん”守さんが急逝された天狗平山荘ですが、千尋さんの家とは親戚関係にあるということで、オーナーの佐伯賢輔さんが法事に参列しておられました。
 その時の話では、今年の積雪は例年(昨年?)より2メートル以上も多めだそうです。3月の降雪が大きく影響しているのでしょうか。
 アルペンルートの除雪も、3月の降雪で思うように進まない事もあったようですが、何しろ「人海戦術」ですので、今は作業をする人達の数も増やして、4月の開通を目指して急ピッチで進められているそうです。
 
 私…「あせぐらしなってきたねぇ」
 賢輔さん…「おう、せわしななって来たっちゃ!!」

 この会話、「忙しくなってきたネ」「忙しくなってきたヨ」の意味です。
 バリバリの冨山弁も、立山の芦峅寺と朝日町では微妙な違いも(笑)。

宇奈月・朝日両遭対協の合同訓練

2003-03-19

訓練の様子    03.3.15       photo by furusaki

 訓練の様子    03.3.15 photo by furusaki

 宇奈月・朝日両遭対協の遭難救助技術の向上を目指した訓練が、15・16日の両日、宇奈月町の宇奈月温泉スキー場と大原台公園一帯で行なわれました。朝日岳方面遭対協からも谷口隊長、廣田副隊長他の隊員が参加し、両遭対協合わせて19名が本番を想定した真剣な訓練に臨みました。
 両遭対協は管轄が接しており、管轄の境界で遭難が発生した場合に備え連携の強化を図ることが目的で、昨年5月にも合同の訓練を実施しています。
 横山 隆・黒部署山岳警備隊分隊長、古崎富裕・入善署山岳警備隊分隊長らの指導を受けながらの遭難者搬送訓練では、ビバーク用簡易テントで遭難者を包みザイルで確保しながら山から下ろす練習などがくり返し行なわれたそうです。
 またこの他にも、山スキーやかんじきでの歩行訓練、雪崩れ用のビーコンを使用した捜索訓練も実施されたとのことです。
 私もぜひ参加したかったのですが、先週末には所用が立て込んでいてどうしても欠席となりましたが、古崎分隊長や阿曾原温泉小屋の佐々木さんの話では、大勢の隊員の参加で大変有意義な訓練だったということでした。
 シーズンを通して、遭難や事故が皆無に越したことはありませんし、小屋の責任者としてもそう願っています。しかしいざという時には、県警山岳警備隊や遭対協の皆さんのお世話にならざるを得ない場合もあり、訓練の重要さは言うまでもありません。
 いつもその献身的な姿には頭が下がります。県警山岳警備隊の皆さん、そして遭対協の皆さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします!!
               (記事は、一部北日本新聞より抜粋)

打ち合わせ

2003-03-19

チューリップテレビ・西山プロデューサー、妹の弥生、私の3人で

 チューリップテレビ・西山プロデューサー、妹の弥生、私の3人で

 昨日は午後から、チューリップテレビの西山プロデューサー、実妹の弥生を交えて打ち合わせ。
 地元のチューリップテレビさんには、一昨年・昨年と朝日岳と朝日小屋を取り上げた1時間番組を3本も作ってもらいましたが、実は西山さんには昨年から温めていた企画があったそうです。
 そこで、3作目のナレーションを担当した妹にも話しに加わってもらい、話を煮詰めようということで、打合せをしました。今年の話や昨年の反省もいろいろ出て、「ああでもない、こうでもない」と話は大いに盛り上がりました(笑)。
 「山」は全く素人だった西山さん。でも朝日岳へは、とても苦しく辛く“死ぬような”思いをして何度も登っていらっしゃったので、今は「自分の中では、日本一の山は富士山じゃなくて、朝日岳!」と言い切れるそうです(笑)。
 今年も、撮影はあるのでしょうか?…またお待ちしていま〜す!!

『ヒスイ海岸』

2003-03-19

朝日岳山頂から、富山湾の朝焼け    02.9.2 

 朝日岳山頂から、富山湾の朝焼け    02.9.2 

 先日の掲示板に“ひまわりさん”が、「ヒスイ海岸」という曲のことを書いていらっしゃいましたネ。
 そういえば、何年か前にそんなステキな歌が流れていたことを思い出し、早速インターネットで調べてみました。
 ありました、ありました!…
 NHKの富山県を取り上げた企画の中で作られたのですが、当時素人ばかり3人のユニットがとても澄んだハーモニーを聴かせてくれていました。探してみると、作詞・秋元 康、作曲・後藤次利だなんて、とても豪華なコンビによって作られたことも判明し、ビックリしました。
 「大蓮華賛歌」も「夕日ヶ原慕情」ももちろん素晴らしい曲(と、自画自賛)なのですが、こんなステキな曲を忘れてしまってはいけませんよネ。
 とてもロマンティックな、そしてちょっぴりせつない曲です。またまた長くなりますが、全曲をご紹介します。
 
『ヒスイ海岸』   
           作詞・秋元 康   作曲・後藤次利   歌・キトキト

ねえ 覚えていますか?   ヒスイ海岸
二人がキスをした   初めての場所
ねえ 覚えていますか?   波のざわめき
あれから   いつまでも 一緒にいたかった

富山空港のロビーで   夢の背中を見送った
ちょっと 無理に笑ったら   もう 涙が落ちた

私の恋に羽根が生えて   青い空へ飛んで行っちゃった
やっと 会えたのに   大切な未来と・・・
だけど きっと いつの日にか   胸の奥に帰って来るでしょう
遠い思い出として   私だけの痛みとして

ねえ 覚えていますか?   潮の香りと
「絶対 離れない」   あの日の約束を・・・

古城公園のベンチで   ふいに ごめんねと言われて
街を 出ていく決心を   そう 教えてくれた

私の恋は鳥のように   籠の外へ逃げて行っちゃった
広い大空と   愛しさは自由よ
誰の恋も縛れないわ   あなただけをどんなに愛しても
それは目には見えない   私だけの宝石なの

あなたは遠い空の下で   何を愛し何に愛されて
どんな恋人と   暮らしてるのでしょう?

そして ずっと 探していた   夢の日々は見つかりましたか?
今も瞳閉じれば   見えるでしょう? ヒスイ海岸