三女・かなえの卒業式
2003-03-02

教室でクラスメートに最後の挨拶をする、かなえ 03.3.1
3月1日、三女・かなえの高校では卒業式が行なわれました。入学したのが昨日の事のように思い起こされますが、今は本当にホッとしています。
正直な気持ちを言えば、いろいろあった3年間でした。ホント…。
私の実父が8ヶ月間の入院を経て亡くなり、私が山小屋管理人となって我が家の生活も一変。ナンダカンダとバタバタし1年の3分の1以上も家を留守にするという変則的な生活に、子ども達の日常を巻き込んだ形になってしまいました。高校生活もどうなることかと思いましたが、お陰さまでそんな我が子もどうにか無事に卒業することが出来ました。
かなえが卒業した魚津高校は、旧制中学時代から100年有余の歴史を持つ伝統校で、かつては甲子園で徳商の板東英二と村椿投手が投げ合った“蜃気楼旋風”で有名ですし、タレントとして活躍する室井 滋さんの出身校でもあります。
そして、剱岳等などの撮影で有名な写真家でアルピニストの佐伯郁夫さんなど多くの先達を輩出している山岳部は、1950年代から高校山岳界に輝かしい歴史を刻み、剱岳チンネやその他には「魚高ルート」と名の付くルートもあるそうです。
入学してバスケ部に所属したかなえは、2年生から山岳部に転部しました。実は中3の時から、双子の二女・はるかと同じ高校に進学して一緒に山岳部に入ってくれたらなぁという話も出ていたのですが、どうしても別の高校に行きたいと言い張る娘たちの言い分がありそれぞれの高校を選び、かなえもはるかも「山岳部なんて、絶対入らんからネ!」と。。。(笑)
そんなかなえも、私の父が亡くなってからいろいろ考える所があったのか、彼女はその後自分の意志で山岳部に移りました。小さい頃から北又から恵振山の急坂を登り朝日岳への道を通った彼女には、高校の部活で登ったいくつかの山はそれ程キツイものではなかったようですし、楽しそうに部活を続けていました。
しかし残念ながら、3年になった彼女に新しく入部してくる後輩は現れず、やむなく女子山岳部は現在休部状態です。
朝日小屋と魚津高校山岳部の繋がりはいろいろありますが、父の代にも沢山のアルバイトが集まってくれて私たちを助けてくれました。男子もそうですが、特に女子では立山室堂山荘に嫁いでいる妹が所属していた縁もあって、何人もの先輩たちが手伝ってくれました。一昨年、昨年と来てくれた川井君、さやかちゃんや鮎美ちゃん達もそうでした。
最近の高校山岳部の衰退はどこの県でも顕著だそうですが、輝かしい伝統を持つ魚津高校山岳部がこれから若い力で盛り返し、更なる発展をし活躍されることを、卒業生の母として、そして朝日小屋管理人として祈念いたします。
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